幸福とは科学的には何なのか?


 
さて、人間の行動原理は幸福を目指すことのみだと書きましたが、では人間にとっての幸福とは一体何なのでしょう?

一般には、社会的、或いは政治的には、自由であること、差別がないこと、平等であること何かが幸福だと言われることもありますね。
或いは人によっては、家族が居ること、美味しいものが食べられること、戦争がないこと、好きな人と一緒に居られること、好きな趣味をすることと言うかもしれません。
ですが以前に書いたように、幸福の定義は人それぞれであり、全員で統一された答えなんてものはありません。
まあ、先人たちがそれを作ろうとした結果の一つ宗教であり、宗教の目的の一つは幸福について述べることだと私は解釈しています。(他には死後の恐怖を拭うことや、善い行いをさせて社会秩序を保つことなどが主な役割でしょう)

それはそれとして、ここではあくまで科学をベースに考えますので、科学的に幸福とは何なのかについて書いてみましょう。

始めに言っておくと、「幸福とは何なのか」という問いについて、科学は答えていません
というよりも、その問いは科学の管轄外だ、と言うのが正確でしょうか。
ですが、幸福だと人間が感じている時にその人の脳の中はどのような状態なのか、についてはかなり解っているのです。
逆に言えば、脳の中がどのような状態の時に人は幸福を感じるのかについては科学によって知られているわけです。

つまり乱暴に言えば「幸福とは何なのか」の答えは解らなくとも、「幸福とはどうなのか」の答えについては解っていると言えばいいのかな? まあ脳科学によってかなりのところまで人間の感情については解ってきているのです。

結論から言うと、脳の中には脳内神経伝達物質と呼ばれる物質があり、その中には幸福感を感じる物質があるのです。
有名なところでは、ドーパミンやセロトニン、ベータエンドルフィンやオキシトシンなどがあてはまるでしょう。
これらの物質がそれぞれ作用する感情は違いますが、概ねポジティブな感情はこれらの物質が支配しているとされています。
そしてそれらが分泌されると、人間は快感や喜びを感じ、それらの感情を人は総じて幸福だと呼んでいるとされています。

つまり幸福感とは、(脳内で分泌される)物質の量と配分で決まっているのですよ。
一般に分泌される量が多いほどその感情が強く、大きく感じます。そしてあたかも複数のスパイスからカレー粉を作るように、それらの物質の量と組み合わせ、つまり配分によって幸福感の量と質が決定されるわけです。

よって、

「幸福感とは、脳内神経伝達物質の量と配分で決まる」

これが科学の答えです。ここまでなら、科学で解っているのです。

しかしながらこの事実は、より深遠な問いを投げかけますよね?

1,そもそもどんな時に、どの脳内神経伝達物質をどんな配分で分泌させようと、一体誰が決めているのか?
2,そして、脳内神経伝達物質の受け取り手は何なのか? 

と。

まずは1について。
例えば美味しいものを食べた時にドーパミンが分泌される事は知られていますが、美味しいと感じるものは人によって異なりますよね? 甘いものを食べた時に分泌される人もいれば、辛いものを食べた時に分泌される人もいるでしょう。
ウニが好きな人もいれば、苦手な人も居ます。

食べ物だけではありません。異性の好みから、好きなスポーツや趣味。ありとあらゆる価値観は人によって異なります。
それは別の言い方をすれば、ドーパミンが分泌されるきっかけが人によって異なるということです。
その各々のきっかけの違いを性格と言ったり価値観と言ったりするわけですね。
ならばドーパミンを分泌させるきっかけを決める脳の部位が、その人の性格や価値観を決めているとも言えます。

何れにせよ、人間の行動原理が幸福を目指すことのみだとすれば、人間の全ての行動を決めているのは脳の中のその部位だということになります。

「幸せを模索する」とは、自分の脳のこの部位が”どんな時にドーパミンを出すかという仕様を探す”ことと同意です。
また幸せの定義が人それぞれ異なるのは、この部位の仕様が人それぞれ異なるからでしょう。
そしてその仕様が先天的なのか後天的なのかについては、また別のディスカッションにしましょう。

この様に科学は「幸福とは何なのか?」に答えることは出来なくとも、少なくともここまでは解っているわけですね。

ですが疑問もあります。神経伝達物質の分泌を決定している部位は、どんな目的でドーパミンを出していて、なぜ「今ドーパミンを出すタイミングだ」と解るのでしょうか? 
これは人間の意思ではコントロールできないのですから当然無意識であり、知能ではないはずです。(余談ですが、悟りを開いた人や瞑想の達人は自分の意志でドーパミンを出せるらしいです)


次に2について。
脳内神経伝達物質を受け取るのは脳内の受容体と言われる部位であることは解っているようです。では受容体にドーパミンが入った時に幸福感を感じることになりますね。ならば我々の感情とはすなわち、受容体のことなのでしょうか?
我々が感じる大きな幸福感とは、ただ単に受容体にドーパミンが入っただけのことなのでしょうか? 
つまり人の心とは受容体のことなのでしょうか? それとも受容体の先に心が繋がっているのでしょうか? その心を司るのは脳のどの部位なのでしょうか?
単なる脳内での物質の移動があらゆる幸福の源なのでしょうか?

これらについては従来の脳科学では良く解っていませんし、将来、解る日が来るかもわかりません。
(私個人的には脳科学で完全に解析される日は来ないと思っています)


最後にもう一つ、極めて重要な問いかけをしましょう。
ではもしも、薬などを使って無理やりドーパミンを分泌させることが出来たら、人は何の理由もなく幸福感を感じるのでしょうか? 
これについては難しくないと思うので、皆さんも考えてみてくださいね。


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