自分が始めた物語
難しい話が続いているので、箸休めに1つ漫画の話でもしてみましょう。
大人気漫画の“進撃の巨人”ですが、一つ、印象に残ったシーンがありました。
コミックで言うと22巻に描かれているシーンですね。
以下、ネタバレが含まれますので知りたくない方は読まないで下さいね。
ここは作品の中でも、一つのキーポントとなるシーンでしょうか。
主人公の父親、グリシャ・イェーガーがはじめてフクロウから身分を明かされるシーンです。
“進撃の巨人”を知らない人にも分かるように簡潔にこのシーンに至るあらすじを書くと、グリシャ・イェーガーは差別される特定の民族であり、子どもの頃からずっと収容区と呼ばれる壁に囲まれた居住地に住んでいました。
そして決して壁の外に出てはいけない、子どもであっても無許可で出たらとんでもないことになると、子ども時代のグリシャは両親から強く教えられていました。
ところがある日、グリシャは妹と一緒に空を飛行船が飛んで行くのを見ました。そして飛行船を追いかけて妹を連れて壁の外に出てしまったのです。
飛行船が着陸するところは見れたものの、結局グリシャと妹は憲兵に見つかってグリシャはボコボコにされ、妹は連れ去られて憲兵の息子らの犬に噛み殺されました。後に憲兵が語ったところによると、妹を犬に噛み殺させたのは息子の教育の一環だったそうです。
ところが妹は公式には事故死扱いにされ、「そもそも外に出たのが悪い」と一切憲兵らにおとがめは無し。
そんな風に虐げられ、差別をされるのが当たり前の民族だったのです。
大人になって妹の死の真相を知ったグリシャは怒りに燃えて反マーレ(敵)の地下活動にのめり込んでいくわけですが、実の息子の密告により夫婦共に掴まって拷問され、最後のこの地に今来ている、という状況です。
実はこのフクロウというのは敵側に潜り込んでいたグリシャと同じ民族のスパイであり、ここでグリシャはフクロウから巨人の能力を引き継ぐように言われます。そのやりとりが、22巻のこのシーンです。
実の息子に裏切られ、拷問され、妻も失い、気力も体力も尽きたグリシャは、自分にはもう大きな役割を担うのは無理だと怒って断ります。
そして酷い拷問をされたり家族を失ったりしたことについて、「もしこれが自由の代償だと知っていたら払わなかった」とフクロウに言います。フクロウが見せようとした、写真館で撮ったグリシャの家族写真もグリシャは見ることが出来ないと言います。
「そんなものを見せて憎しみの感情を取り戻させようとしても、もう無駄だ」と。
フクロウは間もなく寿命を迎えるので、自分の役目をグリシャに継がせようとするのですがグリシャは頑として断ったわけです。
そこでフクロウがその大役を、なぜグリシャに継がせることに決めたのかを語って説得する言葉が以下のセリフです。
(以下は原作通りのセリフではなく、意訳しています)
お前を(継承者に)選んだ一番の理由は、お前が(敵である)マーレを人一倍憎んでいるからではない。
お前があの日、壁の外に出たからだ。
もしあの日、お前が妹を連れて壁の外に出ていなければ、今頃お前は父親の後を継いで医者になり、何不自由ない人生を送っていただろう。
妹も殺されることなどなく、今頃は結婚して子どもを生んでいたかもしれない。
だがあの日、お前は壁の外に出た!
それ以来多くを犠牲にしてきた、そのツケを払う方法は一つしか無い。
あの日、妹を連れて壁の外に出た日から、その行いが報われる日が来るまでお前は進み続けるしかないんだ。
死ぬまで!
これは、
「お前が始めた物語だろ!」
ここでグリシャは家族写真を凝視し、フクロウから巨人を引き継いで自分の役目を全うすることを決意するのです。
「これは、お前が始めた物語だろ!」
この言葉に思わずビクッとした人もきっと居ることでしょう。
世間一般に良いとされている道や普通とされている道、或いは親から半ば強制的に歩かされた道を行く人にはこの言葉はたぶん当てはまらないでしょう。
ですが敢えて、普通とは違う道を自分の意志で選んだ人間にとっては、とても響く言葉だと思います。
普通とは違う道、例えば学校をやめたり、内部告発をして会社を辞めたり、たとえその時は自分の信念に従って選んだ道だったとしても、マイナーな道を歩く者には必ず辛い目に遭ったり痛い目に遭ったりする時期があるものです。
そんな時には弱気になって「何であの時、あんな選択をしたんだろう……」と思わず振り返りたくなることだってあるはずです。
私にも似たようなことはありました。ええ、何度も。
少し脱線するかもしれませんが、私は「お前が始めた物語だろ!」と他人に言いたかったことも何度もありました(笑)。
私はベンチャー企業活動に多く関わってきたので、色々と勧誘されることもあるわけです。
大きな夢を語って「あなたの力が必要だ」「是非力を貸してくれ」
だとか、「一緒に成功を掴もう」といってビジネスパートナーやら社員やらに勧誘してくる人が居るのですよ。
ところが少し上手くいかないことがあったりすると、勧誘した張本人がすぐに事業をやめると言い出したりするのですよ。
既に多くの人を巻き込んでいるのに……。
私は元々諦めが悪い性格なので、いつもこう思っていました。
「え?こんな所で諦めるの?いくら何でもここはまだやめる場所じゃあないだろう」
「ここでやめるくらいなら、はじめからやらない方がいい」
もちろんビジネスですからどこかで諦めざるを得ないポイントがあることは知っていますが、どれもこれもその位置が私の目には明らかに手前過ぎたのです。
しかも言い出しっぺがやめれば、部下や仲間もやめざるを得ません。
そんな時に私はいつも思いました。
「言い出しっぺが簡単にやめるな。これは、お前が始めた物語だろ!」(笑)
話を戻しましょう。
他人に言う話は置いておくとして、自分に対してこのセリフを言うのはグリシャ・イェーガーの様にモチベーションを取り戻せる可能性があるので、良い方法だと思っています。
昔から同様の意味で使う言葉として「自分で選んだ道だろう」だとか色々な表現がありましたが、この漫画のセリフが最も意を捉えていると私は思いました。
そしてこの“物語”という表現は、将来話すメタフェイス的に考えてもピッタリとマッチする言葉なのですよ。
まあ、だから取り上げたんですけどね。
さて、皆さんにも“自分が始めた物語”がありますか?
しっかりと最後まで演じきれそうですか?
さすれば、きっと自分の物語のエンディングを見ることが出来るでしょう。
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