Windowsは何を変えたのか?


現在、パソコンのOS(基本ソフト)と言えば、きっと皆さんはWindowsやMacを思い浮かべることでしょう。
スマホならば、iPhoneのiOSとAndroidでしょうかね。
 
若い皆さんはご存じないかもしれませんが、パソコンにWindowsが搭載されるようになったのは比較的最近の事です。
まあ一般にWindowsが使われるようになったのはWindows95が発売された1995年頃からだと思います。

それ以前のパソコンの世界では“MS-DOS”と呼ばれるOSが主流でした。因みにアップル製のパソコンはその頃からずっと専用のOSを使っていました。これは今のiOSの先祖で、使い勝手は基本的にあまり変化していません。
余談ですが私が初めてパソコンでプログラムを組んだのは小学生の頃で、その時のOSはCP/Mと呼ばれるものでした。これは今では存在していませんね……。
 
因みにWindowsが普及するまで、つまりMS-DOSの時代には日本で使われる殆どのパソコンはNEC製PC-9801というパソコンでした。
その頃にも当然、今で言うWindowsマシンの先祖も存在し、アメリカでは最大のシェアを持っていました。
当時のアメリカで主流のパソコンは”PC/AT互換機”と呼ばれ、これを日本で使っていたのは一部のマニアだけでしたかね。秋葉原にでも行かない限り、まず見かけることはありませんでした。

PC/AT互換機がPC-9801と比べて遥かに安価だったにもかかわらず日本で普及しなかった理由は簡単で、日本語の表示が出来なかったんですよね。
つまり日本語が表示できるPC-9801用のMS-DOSとアメリカ製PC/AT互換機のMS-DOSは、同じマイクロソフト製のOSでも別物だったのです。
当然、PC/AT互換機にPC-9801用のMS-DOSを入れても動きません。逆も同じです。
 
しかしながら後に、PC/AT互換機で日本語が表示できるMS-DOSがIBMで開発され、そのOSの名が”DOS/V”であったことから、PC/AT互換機は日本では“DOS/Vマシン”と呼ばれるようになりました。しかしながら、PC-9801とDOS/Vマシンの互換性はないままでした。
つまりPC-9801用のワープロソフトなどをDOS/Vマシン用に移植しようとしたら、とても大変だったのです。
 
私は当時、主にPC-9801用のプログラムを作っていましたが、当然DOS/Vマシンでは動かなかったため、DOS/Vマシン用に別途プログラムを作る必要がありました。(正確に言えば、プログラムの変更+DOS/Vマシン用のコンパイラが必要でした)
これはプログラマーにとってはとても面倒な作業です。時間もお金もたくさん掛かりますから。

ところがマイクロソフトがWindowsを作ったことにより、そんな事態が大きく変わったのです。
WindowsはPC-9801とDOS/Vマシンのどちらでも動きます。そしてWindows用に作られたプログラム(ソフトウェア。今風に言うなら“アプリ”)は、どっちのマシンでも同じものが動いたのです。
つまりWindows用のソフトを作れば、それを動かしているマシンが何であるかは全く意識する必要がなくなったのですよ。
これはユーザーについても同様で、Windowsが動いているマシンが何なのかを意識する必要はなくなりました。
 
またまた余談ですが、Windowsが動けばどのマシンでも同じことが出来るので、コスパの悪いNEC製のPC-9801はDOS/Vマシンによって完全に淘汰されてしまいました。
今みなさんが使っているWindowsパソコンは、全て元々DOS/Vマシンと呼ばれていたものです。(もちろん、性能は大幅に向上していますが)
 
さて、私が何が言いたいかと言うと、WindowsはPC-9801とDOS/Vマシンの垣根を取っ払い、上位互換のOSとして登場したということです。
但し、WindowsというOS自体はPC-9801用とDOS/Vマシン用の2種類があり、互いに互換性はありません。しかしながらWindowsというラップを被せてしまえば、それが動いているパソコンが何であるかはデベロッパーにとってもユーザーにとっても関係がなくなったということです。
 
 
もう少し分かりやすいように、このお話を現代のスマホに例えてみましょう。
以降の話は上記の実際にパソコンの世界で起きたこととは違い、架空の話なので宜しくです。
 
知ってのとおり、スマートフォンの世界はiPhoneとAndroidの2つOSにキッチリ別れていますね。まあiPhoneはOSだけでなく本体もセットですが。
この状態はしばしばiPhone派かAndroid派かの派閥を生んでいることでしょう(笑)。まあそれほど深刻な話ではないにしろ、これらは2つの価値観、イデオロギーのようなものです。互いに相手を否定したりしているのを良く見かけますよね。
 
ではここで仮に、私が新しいスマホ用のOSを作ったとしましょう。
そのOSの名前は、そうですねえ……。“メタOS”としましょう。

このメタOSの特徴はiPhoneとAndroidの上位互換のOSであることで、何とどちらのスマホでも動きます。
そしてメタOSにはiPhoneに備わる機能は全て搭載されていて、iPhoneで動くアプリは全て動きます。同時にメタOSはAndroidに備わる機能も全て搭載されており、Androidで動くアプリも全て動くのです。
でもこれだけでは“上位”互換とは言いにくいですね。とろがこのメタOSにはメタOSにしかない高度な機能があり、iPhoneでもAndroidでも動かない、メタOSでしか動かないアプリがあるのです。
 
さあ、そんな時代が来たらiPhone派とAndroid派の派閥関係はどうなるでしょう?
このメタOSの素晴らしいところは、従来のiPhoneとして使いたい人はそのままiPhoneと全く同様に使える点です。これはAndroidにしても同様です。
よってもしかしたら始めのうちは、派閥は別れたままかもしれませんね。
 
ですがメタOSが両方のOSの機能をすべて持ち、且つ、メタOSにしか無い素晴らしい機能があったなら、いずれユーザーは増えると思いませんか?
少なくとも多くのデベロッパーはメタOS用にアプリを作るでしょう。だって今までのようにiPhone用とAndroid用の2種類を作る必要がなくなるのですからね。メタOS用のアプリ1つを作れば全てのスマホで動くわけで、これは大変便利です。
 
そして時が経つにつれ、やがてiPhoneとAndroidの垣根はなくなり、最終的には皆が同じものを使う未来が見えませんか?
そもそも自分が使っているスマホのハードウェアが元iPhoneなのか元Androidなのかを、意識することすらないでしょう。上記のPC-9801とDOS/Vマシンの間で起きたの事例のように。
そうなれば当然、派閥争いも消滅です。
 
とても簡単に言うと、私が考えているのはこういうことです。
 
 
戻る        トップページ