被爆国の義務とは?
原爆の日が近づいているので、今回は最近色々と取り上げられる事の多い核兵器について考察してみましょう。
皆さん知っての通り日本は世界で唯一の被爆国であることから、多くの日本人が世界から核兵器が廃絶される事を祈っていると思います。
(昨今では日本も核不拡散条約に加入するべきだとか、しない方が良いだとか色々と議論されていますね)
実際に日本は75年以上に渡って世界に向けて核兵器の悲惨さを発信し続けてきましたね。
そしてその結果として、核保有国は増える一方で逆に核を放棄した国は一つもありません。
(厳密に言うとウクライナが唯一核を手放しましたが、現状を見ると何とも皮肉な……)
長年にわたる努力の末、結果は日本人の目標とは真逆の方向に行っているわけですが、これは不思議な事でしょうか?
そもそも兵器の性能や能力というのは何と言ってもその殺傷力や破壊力と、それらがもたらす威嚇力です。威嚇力を簡単な言葉でで言えば“相手をビビらせる力”の事です。
つまり核兵器がどれだけ恐ろしく破壊力が大きく、そしてもたらす結果がどれだけ悲惨であるかを世界にアピールすればするほどすなわちそれは、“核が兵器としていかに優れているか”を世界に宣伝しているのと同意です。
よって大金をかけて大規模な通常兵器の軍事力を持つよりも、核を一発持ってしまえばその威力と恐怖により戦わずしてどの国からも侵略されなくなる、核とはそんな魔法の兵器であるというのが世界の認識なのですよ。
そしてその認識には日本の被爆経験が大きく影響を与えてるでしょう。
それでは核保有国も増えるという物です。残念ながら結果は日本人の願いとは真逆の方向に行ってしまっているのです。
因みに日本には今でも、
「日本は唯一の被爆国なのだから、決して核を持ってはならない」
という論法を使う人が居ますね。それも結構多く。核の話になるとどうしても日本人は感情的になってしまいがちですが、核の話はそれ程単純ではありません。
認めたくなかったとしても核兵器には実際に戦争を減らす作用もあります。
例えば今までに核保有国が侵略された事ってありますか? 無いでしょう。あの“悪の枢軸”とアメリカに名指しされた北朝鮮でさえ、核(とそれを運ぶミサイル)を持った途端にアメリカ(トランプ大統領)からVIP待遇を受けていましたよね?
またインドとパキスタンは昔からずっと小競り合いをしていましたが、双方共に核を持った途端にピタリと戦争が無くなりました。
「核戦争に勝者はいない」という言葉があるように、核保有国同士が戦争をする事は今後もまず無いでしょう。
つまり核は“使われれば”それはそれは悲惨な兵器ですが、使われなければ平和を生む側面もあるわけです。
そしてMDMA、相互確証破壊という言葉があるように、核保有国同士は極めて戦争になりにくいのです。だって勝者がおらず、どっちの国もただ甚大なダメージを受けるだけなのですから戦争をしても割に合わないのですよ。
よって論理的には、全ての国が核兵器とそれを運ぶミサイルを保有すれば、地球上から戦争がなくなる可能性が高い事になりますね。
もちろん、狂った独裁者やテロリストに支配される小国などは使用する危険がありますが……。でも自分たちも滅びるのですから、彼らだって本当に狂っていないと核なんて使用できないでしょう。
また第二次世界大戦後から現在まで日本は核武装していない事になっていますが、実際には日本は日本海に展開するアメリカの原子力潜水艦に搭載された核ミサイルによって守られている事も事実です。これがいわゆる“核の傘”と呼ばれているものですね。
よって仮に陸上に核が持ち込まれていないとしても、実質的に核は日本に持ち込まれているのと同意でしょう。
居場所を掴むのが難しいため全ての潜水艦に対しての先制攻撃は不可能だから、潜水艦は報復攻撃装置として最も優れているのそうですね。そしてこれが抑止力となっているため、日本はどの国からも核攻撃されないわけです。
但しもちろん、本当にアメリカが報復してくれるかどうかは分かりませんが……。
だってもしもアメリカの潜水艦が日本のために核ミサイルで核保有国に報復したら、今度はアメリカ本土が核攻撃される可能性がありますからねぇ……。
ですが「もしかしたらアメリカの核による報復がされるかもしれない」という懸念により、実際に今まで日本の平和は保たれてきたわけです。
よって現実の世界は、「日本は唯一の被爆国なのだから、決して核を持ってはならない」と純真無垢な瞳で言うにはあまりに複雑なのですよ。
更にこの「被爆国だから核を持ってはならない」というロジック自体も、極めて意見が分かれるロジックだと思います。
例えるなら、もしユダヤ人の国であるイスラエルが、
「我々は第二次大戦後時に大量にガス室で虐殺された経験を持つから、決してガス室を持ってはならない」
と言った時に、その論法に意見が分かれるのと同じです。
或いは、「大切な家族が酒酔い運転車にひき殺されたから、自分は絶対に車には乗らない」という論法とも同じでしょう。
何れの論法も間違ってはいないと思います。要は「嫌な記憶を呼び起こすものは見たくないし、持ちたくない」と言う理屈でしょう。
ですがきっとイスラエルの例で言えば、
「ガス室を持ってはいけないのはイスラエルではなく、実際に使用した前科のあるドイツの方じゃないか」
という考え方の方が主流だと思います。
また後者の例では、「今後車に乗ってはいけないのは、被害者の家族ではなく酒酔い運転をして人をはねたドライバーの方だ」と考える人の方が多くありませんか?
そしてそのロジックで行くなら、「決して核を持ってはならないのは、核を使った前科のあるアメリカだ」という話になるでしょう。ですがそのアメリカの核の傘に日本は守られているのです。
ね? 現実はとても複雑でしょう?
さて、では実質的に核保有国なのだから、日本も自前の核を持った方が良いでしょうか?
つまり日本も核武装するべきでしょうか?
因みにこれは技術的には極めて容易だと言われていますね。「その気になれば核兵器なんて三日で作れる」という言葉があるように、恐らく日本は容易に作れる事でしょう。
技術だけでなく日本には原発で使うための原料もあるしお金もありますから。
しかしながら少なくとも現時点では、核を持つメリットよりもデメリットの方が遙かに多いと思われます。
中でも致命的なデメリットは、“アメリカが許可しない事”でしょう。
日本に限らず、第二次大戦の敗戦国が核を持つ事は決して許される事は無いと思われます。
だって核武装は戦勝国だけの既得権益なのですから。(だからフランスも何だかんだで許された)
もしも強引に日本が核を持ったりすれば、アメリカを始め世界中から経済制裁を食らうだけでしょう。
逆に言えばアメリカさえ許可すれば持つ事も可能かもしれませんが、まず許可する事はないと思います。
もし日本やドイツなどの第二次大戦の敗戦国が核を持てる日が来たなら、その時こそが“戦後レジーム”が終わる時なのかもしれませんね。
またもう一つの解として、逆に“世界から核兵器を廃絶する”という考え方もありますね。日本人はきっとこちらの考えの方が多いのではないでしょうか?
ですがもし本気で核廃絶の願いを叶えたいと考えるのなら、”原爆の悲惨さを世界に訴える”や、“自分が核を持たない”という75年以上全く効果が無かった手法ではなく、どうやったら世界から核兵器が無くなるか、その具体的な手段を考える必要があるでしょう。
最後に一つ、アインシュタインの名言を紹介しておきましょう。
「同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、それを狂気という」
長くなりましたが、この話はこの辺にしておきましょう。
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