戦争を無くす事は出来るのか(前編)
壮大なテーマですが、皆さんは戦争を無くす事が出来ると考えていますか?
人類は有史以来、ネアンデルタール人と共に生きていた頃から互いに争い、戦い、ずっと戦争を繰り返してきました。それこそ何千年、何万年、何十万年と、ですね。
そして皆さん知っての通り、それは今でも続いています。
長い人類の歴史に於いて、戦争が無かったた時代を探すほうが難しいでしょう。
そうなると人間のDNAの中には“戦争をすることが本能として組み込まれている”のではないかと考えたくなってきますね。
戦争では当然ながら人同士が殺し合うため、人が人を殺すことになります。
ですが不思議なことに、同時に人間には“人を殺すことを嫌悪する感情も本能として持っている”のですよ。これについては説明や証明の必要はないでしょう。
つまり経験則で考えると遺伝子は戦争を肯定しているのか否定しているのか計り知れません。もっと言えば、一見矛盾しているようにも見えますね。
殺人は忌避(嫌悪)しつつ、戦争は肯定する。人間とはそんな矛盾をはらんだ不条理な生き物なのでしょうか?
いいえ、恐らくそうではないでしょう。人間は本質的には戦争も忌避しているはずです。だから多くの人々が平和を祈り、戦争を無くす方法などというものを考えたがるわけです。
ではなぜ現代になっても戦争が無くならないのでしょうか?
例えば“天然痘”という、長年に渡り世界中の人々を殺し、苦しめ続けた疫病がありました。ですがこの疫病を人類は撲滅することができたのです。理由は、多くの人々の祈りが通じたわけでもなければ天然痘を憎む気持ちが多くの人に共感されたからでもありません。撲滅できた理由は単に、天然痘という疫病を無くす方法が発明されたからです(種痘ワクチンのことです)。
これは戦争についても全く同様です。
戦争がなくならない理由は、平和を叫ぶ声や平和への祈りが足りないわけではないし、ましてや軍隊が存在するためでもありません。
理由は単純です。
まだ戦争を無くす方法が発明されていないからです。
すべての思考を始める前に、まずこの前提を受け入れる必要があります。疫病を無くす方法や、飢餓を克服する方法は比較的最近ですが既に発明されました。ですが、戦争に関してはまだなのです。
よって本気で戦争を根絶しようと考えるのなら、精神論やイデオロギーではなく、もっと技術的かつ論理的にその方法を発明しなければならないのです。
話を戻しましょう。
殺人を嫌悪するのに戦争を肯定する人は、どの様なロジックでこれらを使い分けているのでしょうか?
とても簡単に言うと、おおよそ以下の通りでしょう。
「人を殺すのは嫌だが、その目的が自分や自分の家族の生存のためならば他人を殺せる」
昔、こんな話を聞いたことがあります。それは「催眠術で人を殺させることが出来るか?」という実験をした学者の話です。
結論としては、どれだけ深い催眠術にかかっていても、殺人のように人が本能的に嫌悪することは出来ないとの実験結果でした。
ですが一つだけ、催眠術で人を殺させる方法があったそうです。それは「その人を殺さないと自分の命が危ない」という催眠をかけることだったそうです。
上記の話はこの実験に酷似しています。人殺しは嫌だけど、自分や自分の家族の命のためならば殺すことが出来る。ならば何の矛盾もありません。これが人間のDNAに書かれている本能なのです。
そしてやがて自分の家族が自分の友人や近所の人に拡大し、更に自分の地域の人、自分の国、更には自分と同じ民族、自分と同じ宗教を信じる者たちと言った具合に広がっていくことで、それが集団と集団の殺し合い、つまり戦争に繋がっていったのだと私は推察しています。
そして“生存の危機”の解釈も文明の進歩とともに広がり、次に“生存の危機の疑い”になり、やがて“豊かな生活”のようなものまで含まれていったのだと考察できますね。
つまり本来は“自分と自分の家族の生存のため”という目的だったものが、“自分の国の人々の豊かな暮らし”といったものにまで膨らんでいった結果が、国家間の戦争が発生する本能的な理由でしょう。
(近現代に於いて実際に戦争を引き起こしているのは国際金融資本家などの一部の人間だ、などどいう陰謀論系の話もありますが、それは枝葉末節の話なのでここでは触れないでおきましょう)
これが我々のDNAに潜む戦争を引き起こすメカニズムだという解釈で、戦争が起きる本能的な理由についての考察としておきましょう。
続く……。
戻る トップページ