お金とは何なのか?
さて、まず始めに理系人間の思考回路を知るためにお金の話でも書いてみましょう。
多かれ少なかれ、人はお金に左右されて生きていますよね?
中には「お金のためなら何でもする!」なんて人までいるでしょう。ですがその“お金”って一体何なのでしょうか?
一般に言われているお金の定義は、
日本銀行が発行している金券
誰もがその価値を認める金属である金(きん)の替わりになるもの
金の預り証
はたまた債務と債権の記録
まあ文系の人たちは大体こんな様な説明をしますよね。ですがどれもこれも私にはしっくり来ません。
これほど誰にとっても重要であり、多くの人が毎日それを得るために働いているというのに、「お金とは何なのか?」と聞かれると実は良くわからないのですよ。
もちろん、使い方は誰でも知っているんですけどね。
私流にその定義をすると、お金とは
“人間の労力”
のことです。お金の歴史がどれくらい昔まで遡れるのかは詳しくありませんが、大昔は人は物々交換をしていたそうですね。
例えば、魚を獲るのが得意な人は魚を自分が食べる分以上に獲ってきて、米や小麦を作る人は同じく自分が食べる以上に作り、魚と米を交換してお互いに食べられる物の種類を増やしたわけですね。
ところが皆が魚が欲しい人や米が欲しい人ばかりではないし、交換するために物をずっと保存したり何処にでも持ち歩くのはとても不便です。そこで物と物の中間に位置する抽象的な価値を決めたのがお金の始まりだと思います。
つまり、魚を獲った人は魚を捕る労力をお金に替え、米を作った人もその米を作るための労力をお金に替えたと考えるのです。
そしてその”労力の証拠であるお金で他の人の労力を頂く”、つまり他の人から物を買えるようにしたと。
よって、あくまで”お金は売買する物自体の価値ではなく、人間の労力の価値”を表すものなのです。
ええ、例えば魚自体に価値があるわけではないのです。いくら美味しい魚であってもですよ。
だって美味しい魚なんて海にいくらでも泳いでいますよね? ではその海の中にいる魚に価値があるのですか?
海の中に魚が居るだけでは当然、人間にとって何の価値もありません。それを捕獲して持って来ることに価値があるのです。
他にも太陽の中心部には高級な貴金属が山程ありますが、それらに価値がありますか?
太陽の中心部の物なんて採取することが不可能なのですから、人間にとってそれらにはなんの価値もないのです。
逆に、人間にとって重要なものが高価なわけでもありません。例えば呼吸するための酸素は人間にとってなくてはならない何よりも重要なものですが、タダですよね?
何故でしょうか? それは呼吸によって摂取するのに人の労力が一切掛からないからです。
高価なダイアモンドだって、もしもそこら中に転がっていて何の労力もなくいくらでも採れるのなら、価格なんて付かないでしょう。少しのダイアモンドを採掘するだけでも、とんでもない時間と労力がかかるから、高価な値段がつくのです。
金や銀が鉄よりも高価なのも同じです。
人類にとって無いと困るのは鉄の方だと思いますが、鉄は大量に採掘するのがとても簡単だから安いのですよ。逆に金や銀は採掘するのがとても大変です。
つまりお金は人間の労力のことであり、金額の高い低いはその労力の多い少ないに比例しているのです。
サラリーマンが給料をもらえるのは、自分が会社に提供した労力の対価であり、この定義どおりですね。
そして高いスキルを身に着けるためにはたくさんの時間と労力がかかっているので、スキルによって給料も高くなりますよね?
つまり、お金は人の労力を抽象化したものです。
或いは”他人の労力を使う権利証”と言ってもいいかもしれませんね。つまりお金を使うということは、他人の労力を使うということとイコールなのです。(子どもの”肩たたき券”と同じイメージです)
ならば「何よりもお金が大事だ」という人は、「何よりも他人の労力を使う権利が大事だ」と言っているのと同意であり、「お金のためなら何でもする!」と言っている人は、「他人の労力を使う権利を得るためなら何でもする!」と言っているのと同意です。
よって地球上に他人がおらず自分一人ならば、お金という概念は存在し得ないわけです。
金融商品について:
難しい経済の話はここではしませんが、一つだけ問題を提起しておきましょう。
お金が人間の労力を使う権利だとすれば、全世界のお金の量は全人類の労力の合計以下でなければなりませんね。
ですが現在世界に流通しているお金の量は、様々な金融商品や銀行の融資などによって、それを遥かに上回っています。
デリバティブなんて言葉も聞いた事があると思います。
ということは、、、これから未来にどうなるか考えてみて下さいね。
この様に原理原則から論理的に考えれば、あの手この手で売ろうとする色んな金融商品に騙されないはずです。
細かい金融の知識なんて実はいらないのですよ。
(お金を奪われることは、あなたの労力を奪われるのと同意ですからくれぐれも気をつけて下さいね)
では人類は実際の労力を遥かに上回っているお金の量に対し、今後どの様に辻褄を合わせていくのでしょうか?
そんな事も考えてみると面白いでしょう。
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