私が多世界解釈を支持しない理由
量子コンピューターの生みの親であるドイチュを始め、世界には多世界解釈の信奉者がたくさん居るので本件については書くかどうか迷ったのですが、まあ物理学は宗教ではないので自分の意見を書くことは問題無いでしょう。
今回の内容は、なぜ私が多世界解釈を「正気の沙汰か?」と考えるのかについてです。
”シュレディンガーの猫”の例で言うなら多世界解釈というのは、人間が蓋を開けて猫を観測する時にパラレルワールドの様に世界が、つまり宇宙が二つに分かれるという考え方です。
そしてその二つの宇宙というのはコピペしたかのごとく全く同じで、唯一異なっているのは猫が生きているのか死んでいるのかだけなのですよ。
そしてその二つの宇宙の間では通信したり情報を交換することが不可能としています。
つまりこれは、もし分岐したもう一つの宇宙が存在していたとしても、それを知る術は無いことを意味します。
因みに宇宙を一つ作ろうと思ったら、どれ程のエネルギーが必要だと思いますか?
言うまでもなく、想像を絶するエネルギーがないと宇宙なんて作れません。太陽を作るだけでもとてつもないエネルギーが必要なのに宇宙全体となるとどれ程になるのか、具体的にはビッグバンのエネルギーがどれ程だったのか(何カロリー?)は現在でも良くわかっていません。
そんなものが”シュレディンガーの猫”の実験装置の蓋を開けた瞬間にまるでコピペしたようにポンと作れるのでしょうか?
もし作れるとしたらそのエネルギーはどこから来ているのですか?
まあエネルギー保存則は宇宙の中だけの法則ですが、それにしてもエネルギーがどこかから無限に湧いてくるのでしょうか?
仮にどこかから湧いてきて無数の宇宙が作れるだけのエネルギーが有ったとしましょう。
宇宙が出来てから現在に至るまで約138億年もの時間が経過していますが、その新しく作られた宇宙はどうしてビッグバンから始まらず、いきなり今の状態になったのですか? それも一瞬で。
138億年もの過去は省略して作られたのですか?
仮にそれも出来たとして、今の我々個々人が存在する宇宙は天文学的に小さい確率の上に、つまり偶然に偶然が重なって出来たのですが、なぜ誤差無く全く同じ宇宙が作れるのですか?
誤差と言うなら猫が生きているのか死んでいるのかの違いだけです。
仮に完全に同じ初期条件で宇宙を作ったとしても、量子力学の不確定性原理が存在している以上は同じ結果にすることは不可能であることは大昔から知られています。ええ、アインシュタインは反対しましたが、実際に神はサイコロを振るのです。
それともこの部分は物理法則の適用外なのですか?
(と言うか、全く同じ過去を持つ宇宙をコピペ出来る時点で宇宙がコンピューターで作られている気がしますが……)
仮にです、、、それも何らかの理由で出来たとしましょうか。
では次に”シュレディンガーの猫”の実験をAさんとBさんの二人で、それぞれ別の部屋に同じ実験装置を作って同時に蓋を開ける実験を考えてみましょう。そして二人が猫の生死の結果を電話なりネットなり何らかの手段で共有するとしましょう。
この時に分かれる宇宙は、Aさんが生きている猫を観測しBさんも生きている猫を観測した世界、同じくAさんが生きている猫を観測しBさんは死んでいる猫を観測した世界、そしてAさんが死んでいる猫を観測しBさんは生きている猫を観測した世界、最後にAさんが死んでいる猫を観測しBさんも死んでいる猫を観測した世界の4つに宇宙が分かれることになりますね。
同じ事を3人でやれば2の3乗で8つの宇宙に分かれることになります。これは凄いですね。無限に近いほどでかい宇宙が瞬時にたくさん作られるのですから。ええ、ただ人間が蓋を開けるだけで。
では同じ実験を世界人口の80億人が同時にやったらどうなるでしょうか?
今度は分かれる世界の数は2の80億乗個になります。
この実験をしなければ宇宙は分かれずに一つだとすると、つまり
2の80億乗 - 1 個
の宇宙が新たに作られることになりますね。それも瞬間に。
因みに2の80億乗といえば、
7.1 × 102408239965311
です。これは、7の後に0が2兆4千万個続く数字です。
因みに宇宙に存在する全ての原子の数でさえ、1080程度とされています。
また我々の宇宙以外にも無数に宇宙があるとする超弦理論が予測する宇宙の数でさえ、10500個程度です。
上記はそれと何桁違いますか?
もしこの実験をすればどこかからエネルギーが発生し、これだけの宇宙が瞬時に作られることになるのです。しかも全ての宇宙はビッグバンから始まる過去は省略されて、奇跡的な確率で我々の宇宙と同じ物が生まれ、ただ猫が生きているのか死んでいるのかだけが違う宇宙が無数に生まれるのですよ。
私が「正気か?」と言いたくなるのも分かりませんか?
「シュレディンガーの猫の様な実験は特殊であり、多くの人が同時にやるわけがない」と思ったかも知れませんが、大学で素粒子宇宙物理学を専攻していた私に言わせると、地表には常に大量の放射線と同様の物が降り注いでいます。
多くは太陽から出た物ですがそれ以外にも多くの宇宙線が地球には降り注いでおり、それら宇宙線の粒子が空気に衝突することで新しい粒子が生まれ、それらが地表に降り注いでいるのですよ。
以前に触れたニュートリノもその中の1つです。
図1 空気にぶつかった粒子から多くの素粒子が生まれるイメージ図
言うまでもなく素粒子は全て量子力学に従いますし、光子(光)だってそうです。つまり我々はもれなく常に素粒子を観測しており、量子力学に触れているのですよ。
光子が目の網膜に当たることで我々は「ものを見た」と感じます。(蛍光灯のような電灯から出ている光子も量子力学に従います)
つまりある意味でこれは、上記の80億人が同時に毎日”シュレディンガーの猫”の実験をしている様なものです。
もし仮に多世界解釈を答えの終着点とするならば、それは「この世界を理解することへの諦めだ」と私が言った理由も分かって頂けると思います。もし多世界解釈が正しいと仮定すると、更にとても多くの疑問が生まれてくると思われます。
フォン・ノイマンによって証明された“波動方程式の波は数学的に収縮することはない”というたった一つの矛盾を解決するために、このとんでもない仮定を用いることは愚行だと私は思います。
“オッカムの剃刀”の言う様に、仮定は出来る限り少なくするべきです。何故なら追加した仮定はまた新たな仮定を生むことになるからです。そしてその新たな仮定を成り立たせるためにまた新しい仮定が必要となる。そうやって雪だるま式に仮定が増えていく事が多いのです。
以上が、私が多世界解釈を支持しない理由です。
もちろん多世界解釈に対してこれとは違う説明をする人もいると思いますし、あくまで今回書いたことは私の個人的な考えです。
余談ですが素粒子には寿命を持つものが多く存在します。ですが平均寿命を測定すると宇宙のどこで測定しても、その場所、速度を問わず同じになります。
その様はまるで、テレビカメラに映るところだけを綺麗に整えているテレビ番組の制作に似ている気がしました(笑)。
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