2:6:2の法則


今後の記事の公開方針はまだ考え中ですが、取り敢えず本記事は役立つ人が多そうなので一般公開にしようと思います。
(引き続きご意見を募集していますので宜しくです)

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皆さんは2:6:2の法則を知っていますか?
ネットで調べると詳しい解説が出てきますが、ここでも簡単に解説してみましょう。

働きアリの世界をよく観察してみると、全体の2割が良く働き、6割が普通に働き、そして残りの2割のアリは全く働かずにサボっているそうです。
因みに良く働く上位2割のアリが全体の8割の仕事をこなしているそうです。

するときっと誰もがこんな事を考えるでしょう。
「もしサボっている2割のアリを取り除いても、アリ全体の仕事量は変わらないだろう」
と。

ええ、実際に実験してみました。ところがサボっている2割のアリを取り除くと、なんと今まで働いていた集団の中から一部のアリがサボり始め、最終的にはやはり2:6:2のバランスに戻るのだそうです。

逆にサボっていたために取り除いたアリたちだけを集めたら、何とその中から2割のアリが良く働き始め、6割のアリが普通に働き始め……、といった具合になってこれまた2:6:2のバランスになったそうです!
これは実に不思議です。

この2:6:2の法則が何故有名かというと、この法則はなんと人間の世界にも当てはまるからです。

例えば会社の中でも働く人の割合はこの2:6:2のバランスになるのだそうです。
よってもし使えない下の2割をクビにすると、また新たに使えない2割の人たちが出現するんだそうです。逆に上位の2割をヘッドハンティングなどで取られても、やがて6割の中から優秀な人が現れてその割合はきっちり2割になるんだそうですよ。

これは学校で勉強の出来る生徒の割合にしても同じなんだそうです。
更にいつの時代も社会問題になっている学校のイジメについても、この法則が成り立つという話があります。

例えばいじめられている子を転校させるなどして取り除くと、今までいじめられていなかった子がいじめられたり、逆にいじめっ子を取り除くと今までいじめていなかった子がイジメを始めたりするんだそうです。
更には、いじめっ子だけを集めるとその中でいじめられる子が現われたりといった具合です。

とても不思議ですが自然界というのは、必ずこの2:6:2のバランスになるように調整されるのですよ。
でもここで疑問に思うのが、人間の社会はともかくとして「アリたちがどうしてそんな数学を知っているのか?」ということでしょう。

「それが自然の法則だ」というのが今までの答えの限界でした。しかしながらメタフェイスを使えば他の答え方が出来るはずです。

では次にメタフェイスを使って答えてみましょう。

自然界が2:6:2の法則になるのは、マスタープログラムの中の

乱数発生の仕様が2:6:2になっているから

である。

VR解釈に於いて「自然の法則」とは換言すれば「マスタープログラムの仕様」のことです。
乱数についてはプログラミング用語でやや難しいのでここでは触れませんが、要するにこの世界を作っているマスタープログラムが2:6:2のバランスになるようにプログラムされているということです。なので集団に於いて2:6:2のバランスが崩れるとマスタープログラムの中で一部の者のパラメーター(フラグ)が変わりその者たちの”役”が変わるように設計されているのでしょう。

アリが数学を知っているわけではありません。ですがこの世界は数学で出来ているのだから、どこを取っても数学的な性質しかとれないのですよ。
そして意図はわかりませんが、マスタープログラマーがどの世界に於いても2:6:2のバランスになるようにパラメーターを設定したのでしょう。
因みに私から見るとこれは少々手抜きのプログラミングに見えますかね……。

以上、これがVR仮説を使った答え方ですが、これだけでは仮に正しいとしても何の役にも立ちませんよね?
そこでメタフェイスの出番です。

例えば小学校でいじめっ子を取り除く例を考えてみましょうか。

全てのいじめっ子を取り除けばいじめっ子が居なくなってめでたしめでたしと言いたいところですが、2:6:2の法則により今までいじめていなかった児童の中から、また新たないじめっ子が出現します。
その様は、

まるで誰かがその役を演じなければならないという使命感に駆られているかのように……。

これをメタフェイス風に言えば、一部の人間の役が変化するのです。
(ここで言う役とは、今までに述べてきた孔子の言う「道」のような人生に於ける役ではなく、特定の集団内に於けるもう少し小さいレベルの役目を指します。いわば「ミニ役」といったところでしょうか)

VR仮説ではこの世界は何らかのゲームのような物だと言っていますが、別の見方をすると演劇の舞台とも良く似ています。
つまり、キャスティング(配役)があるのですよ。

どの舞台に於いてもキャスティングのバランスは変わらないのが普通です。だからある役を演じている者を取り除いてしまうと、演劇を成り立たせるためにその代わりを演じる者が必要となります。そしてマスタープログラムはその様な者が出現するようにプログラムされているのです。

つまり、イジメを始めた彼らは自分の役を演じているだけなのです。だから敢えてこう言いましょう。
「彼らに悪意はない」
のだと。

ただ「本能」や「感情」という形でマスタープログラムから司令が来ているだけなのです。


上記を踏まえ、私は良く以下のフレーズを用います。

「彼を憎んではいけない。彼はただ自分の役を演じているだけ」


別にこの解釈が正しいと言っているわけではありません。ただ「そう考えてみてはいかがでしょう?」という私からの提案です。

さすれば人によってはスッとストレスが減ることでしょう。


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