人は何のために生きているのか?


2,人は何のために生きているのか?

答え:

“この世界”という名のゲームをクリアするためです。そしてゲームクリアの場所は、全ての人が最大レベルに幸福になったところです


メタフェイスもそろそろ核心部分に入って行きます。
では”2の問い”の答えについて解説していきましょう。

人間のあらゆる行動には目的がありましたね。そしてどんな行動であっても普通は動詞で表わされますが、唯一“生きる”という動詞だけは目的が有りませんでした。
では“生きる”という動詞を行動だとするなら、この行動の目的は一体何なのでしょうか?
その答えがきっと、この”2の問い”の答えになるはずです。

当たり前ですが、人間のあらゆる行動は生きていなければ実行することが出来ません“死ぬ”という行動でさえも、そうなのですよ。
ということは“生きる”という行動は、他のあらゆる行動をする能力を維持するための最も根源的な行動であると言えるでしょう。

即ち人が生きる目的とは、

“人が行動をする目的”

であると換言出来るのです。

時々、「誰であっても人は生きているだけで価値がある」と言う人が居ますが、その根拠を尋ねても論理的な答えが返ってくることはありません。

ならば人があらゆる行動する理由が無くなった場所が、生きる理由が無くなった場所とイコールになりますね。そして人間の行動原理は、何もしない現状よりも幸福レベルが高くなるために動く事でした。

そして衣食住をはじめとした人として最低限の生活を維持するための条件が満たされて、ある程度の幸福レベルになっている状態から更に上のレベルの幸福感を得る方法は、自分以外の誰かのために行動する事でしたね。
つまり自分よりも不幸な人、または解決しなければならない問題を抱える人らのために行動し、その人たちの幸福レベルを上げれば自分が更なる幸福感を得られることになります。

ではここで1つの思考実験をしてみましょう。

もしもいくら探しても世界中に不幸な人が一人も居ない、全ての人が幸福な世界になったなら、人は現状よりも高い幸福感を得るためにどんな行動をすれば良いのでしょうか?


そんな状況になる少し前には、既に数少なくなった不幸な人を助ける権利の取り合いになりそうな気がしますが(笑)、不幸の資源が尽きて全ての人が幸福になり、世界に解決するべき問題が何も無くなったとしたら人はどんな行動をすれば良いのでしょうか?
これを我々に身近なゲームに例えるなら、倒すべき敵を全て倒してしまって敵が一人も居ない状況でしょうか。

いつか実際にそんな日が訪れるかどうかは分かりませんが、理屈上はこれでは人間の行動原理により、あらゆる行動が出来なくなりますね。

”全ての人が何もしない”という現状が最も人類全体の幸福度が高く、それよりも幸福度を上げる行動がもう存在しないのですから。

よってそこが人間があらゆる行動する理由が無くなる場所であり、即ち生きる理由が無くなる場所です。

では次にVR仮説を使ってこの部分を更に深く考えてみましょう。
もしVR仮説を使って”生きる”という行動を定義するならば、”この世界”という名の”ゲームに参加すること”となるでしょう。
すなわち人が生きる目的というのはゲームに参加する目的、もっと言えばゲームをプレイする目的だと換言出来ます。
そしてゲームプレイにおいて、あらゆる行動の主たる目的はゲームをクリアすることであるはずです。

では何故ゲームをプレイするのか? それは、プレイしなければゲームをクリア出来ないからです。
つまりゲームをクリアすることが最も根源的な目的であり、そのためにはゲームをプレイする必要がある、すなわちこの世界で生きる必要があるのです。

VR仮説で言うところの”この世界(宇宙)”がゲームなのかシミュレーターなのか、或いは他の概念のものなのかは分かりませんが、ここでは我々に馴染みのある”ゲーム”という言葉を使うことにしましょう。

我々がゲームを購入すると、普通はマニュアルが付属していますよね。しかしながら”この宇宙”という名のゲームには、文字によるマニュアルは見つかっていません。まあ、もしかしたらどこかにある可能性もありますが……。
なのでこうして科学を使って論理的に考え、ゲームのルールや目的を推測していくしかありません。ゲームのクリア条件もその中の一つです。

そして論理的に考えると上記の通り、我々が参加しているゲームのゴールは

全ての人が最大限に幸福になった場所

です。
そしてその場所こそが“この宇宙”という名のVRゲームをクリアした場所です。

知っての通り、歴史を見れば昔の人たちは飢餓で苦しんだり、寒さや疫病で苦しんだり、猛獣に怯えたり、奴隷になったり理不尽に虐げられて苦しんだり、或いは戦争で苦しんだりと、現代と比べれば人類全体の幸福レベルはずっと低いものでした。
ですが時に回り道をしながらも、実際に我々人類は確実にそのゴールに向かって歩んで来たのですよ。

つまり人が生きる究極的な目的は、

人類を上記のゴールに辿り着かせること

となります。

逆に言えば、そのゴールとは反対の方向に向かう行動は、人の生き方として間違っていると言えるでしょう。具体的に言えば自分や多くの人の幸福レベルを下げる、つまり不幸な方向に向かわせる行動です。
まあそんな事は改めて言わずとも人は本能的に知っていますね。そしてこの本能も、“この宇宙”というゲームのルールが記述されている場所の一つなのです。

この壮大なゲームをクリアした時に何が起きるのかはまだ判りませんが、我々の知るゲームでは音楽が流れて著作権表示などを含むエンドロールが流れてきますね。
もしかしたらそれと似た様な事が起きるのかも知れません(笑)。
出来ることなら是非、その瞬間を目撃したいものです。

或いは、単純にこの世界(宇宙)を動かしているマスターコンピューターがリセットされるだけかも知れませんが……。


さて、ではここから先は実用的な話として”我々一人一人にとっての生きる理由”の解説に入りましょう。

私は”全人類を幸福にする”というゴールに近づけるために、一人一人にはそれぞれ最高のパフォーマンスを発揮出来る役目が存在していると考えています。
よって「人類全体ではなく、あなた個人が生きる目的は?」と問われたならば、

その役目をこなすこと

が答えとなるでしょう。
つまり”あなたにとっての最適なやり方で、人類がゴールに近づくことに貢献すること”が個人の究極的な生きる目的であり、その行動をするために我々は生きている事になります。


これについては”1の問い”の答えと重複するのでこの辺にしておきますが、最後に重要なことを書いておきましょう。
自分ではなく人類全体のために行動するとは言っても、その人類の中には自分自身も含まれていることになりますね。

ここで自分以外の人たちの事を“人類”と呼ぶとしたら、自分は人類の幸福レベルを上げるために行動し、他の人たちも同様に人類の幸福レベルを上げるために行動することになります。でもその他人から見た“人類”の中には自分も含まれるので、これでは循環関数になる気がしますね。
例えば夫は妻のために生きて妻は夫のために生きるとすると、これは循環関数になってどちらも誰のために生きているのかが分からなくなる様に、です。

では今回のケースに於いて、個人と全人類の関係については、どう捉えたら良いのでしょうか?
具体的に我々個人は、明日から一体誰の幸福レベルを上げる為に行動をすれば良いのでしょうか?

では分かりやすい例をあげましょう。
人類全体と個人の関係は、人体とそれを形成する細胞の関係に良く似ています。
人体を構成する細胞の数は37兆個程度だと言われていますが、個々の細胞にはそれぞれの役割がありますね。
知っての通り細胞には様々な種類があり、例えば心臓の筋肉の細胞の役割は血液を全身に送ることです。肺の細胞の役割は酸素を血液に取り込むことです。
赤血球細胞の役割は全身の細胞に酸素を届けることだし、白血球細胞の役割は外部から侵入したウィルスなどをやっつけることです。
その他にも脳細胞、肝細胞、骨の細胞などなど……、あらゆる細胞にはそれぞれの役割がありますね。

ですがメタレベルで見れば、種類を問わず全ての細胞にはたった一つの共通した目的が存在します。
それは、

人体を生かし続けること

です。
個々の役割は異なっていても、全ての細胞の目的はそのたった一つの共通の目的に帰結します。
もちろん中にはガン細胞のような困ったものも存在しますが、これは本来の目的からは外れた細胞ですよね?

個人と全人類の関係もこれと似ています。
80億人を超えたとされる全人類を1つの大きな生命体とするなら、我々個人はその生命体を構成する細胞のような存在です。
確かに個々人の役目はそれぞれ異なりますが、メタレベルで見れば大きな生命体である“全人類”の幸福レベルを上げる事が細胞である一人一人の共通した目的なのですよ。

もし細胞が衰弱してしまっていてはまず自分が元気になる事を考えなければいけませんが、ある程度元気な細胞ならばメタレベルに立って人体のためになる活動をするべきでしょう。それと同様です。

よって我々個人は、“それぞれの方法で、誰かのために行動するために生きている”という事になるわけです。
それが結果的に人類をゴール(ゲームクリア)に導くことになります。

人類がゴールに辿り着くこと。

”この世界(宇宙)”という名のVRゲームの目的はそれ以上でも以下でもありません。
つまり人類を含めたこの世界の、この宇宙の目的は、それ以上でも以下でもないのです。
言ってみれば、“たかがそれだけの事”なのですよ。


余談ですがこれらの答えに行き着いたときに私が感じたことを口語で言うなら、
「この宇宙は、俺には小さすぎる」
でした。


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