この宇宙はどうなっているのか?


さて、今までに書いてきた”この世界が数学で出来ている”ことに”量子力学の語る実在”を加えて考えてみましょう。

今までに何度も言っているように量子力学によれば、あらゆる物は人間が観測するまでは状態が決まっていません。
そして物理的に”状態が決まっていない”とは、”位置と速度が決まっていない”という意味でしたね。
ですが位置も速度も決まっていないとなると、その物体は日常的な意味で使う“無い”と同様でしょう。
だって実際に観測するまではその物体は、低い確率ながら地球から100光年離れた場所にある可能性だってあるのですから。

これは受け入れられない人も居るかもしれませんが、“誰も居ない夜中の山奥で木が倒れても、音がしたかどうかは微妙である”というのが量子力学以降の物理学の説明なのです。
つまり物体にしろ現象にしろ、それらを存在たらしめているのは人間の心ということでした。

この量子力学の不思議については”コペンハーゲン解釈””多世界解釈” の様ないくつかの解釈が存在していましたが、どの解釈も肌感覚で理解している人など一人も居ません。ええ、物理学者であってもです。
また仮に、これらの解釈が正しかったとしてもそれを証明する事は不可能でしたね。

つまりこれらの解釈を持ち出すことは、すなわち人間がこの宇宙を理解することへの“諦め”であると私は考えています。
よって真実を知ることを諦めないと決めた時点で、この選択肢は取り得ないことになります。
このロジックは神の有無について賭けた、パスカルの賭け に似ているでしょう。

そもそもこの宇宙に人間が理解できる真理などというものが、存在しているのかどうかは分かりません。
仮に真理自体が存在していたとしても、その証拠がこの宇宙の中に有るかどうかは分かりません。
更にもし証拠が宇宙の中に有ったとしても、我々がそれを見つけられるかどうかは分かりません。
ええ、確かに何もかも分からないのです。

しかしながら、です。逆の証明はどうやっても出来ないのですよ!
この宇宙に人間が理解できる真理が存在しないことも、その証拠が宇宙の中に無いことも、それを我々が発見できないことも、です。
何故ならこれらはみな、悪魔の証明 だからです。

なのでこの宇宙の“真実”を知ることを諦めないと決めた時点で、賭けるしかないのです。
この宇宙に我々が理解できる真理が存在することにも、その証拠があることにも、そしてそれを我々が発見できることにもです!!

このスタンスは超統一理論が存在すると信じて研究している物理学者らときっと同じでしょう。実際に超統一理論などというものが存在するかどうかは分かりませんが、存在しないことの証明は不可能です。
ならばこの宇宙の物理法則を完全に解明すると決めた時点で、超統一理論が存在する方に賭けるしかないのです。
そしてそれ以上に彼らは、物理学が最後まで美しい形で終わるという信念を持っているのですよ。
ええ、物理学はパッチワークではなくきっと一反の布の様になると。

ならば我々も真理に行き着ける方に賭けようではありませんか!

今まで本サイトに書いてきた布石を総合してこの世界が、宇宙が、どうなっているのかを論理的に考えてみると、きっと私と同じ結論に至る人が居ると思われます。
なぜなら私の考える真理の仮説は、とにかくあらゆる事を矛盾無く説明できるのですから。
実際に自分の仮説の間違いを探そうと長年考えてきましたが、現時点で矛盾は一つも見つかっていません。

但しこの仮説には一つだけ大きな問題があります。
それは、いくら論理的には無矛盾で綺麗であったとしても

“感情的にはとても受け入れられない”

という、今までの物理学、いえ、科学がいつも経験してきた問題を含むことです。
過去には地動説しかり、量子力学しかり、宇宙の膨張しかり、キリスト教圏では進化論もそうだったでしょう。

しかも今回の仮説は、感情的に受け入れられないレベルが従来の比ではなく、尋常ならざるレベルなのです。
ええ、人生観も価値観も死生観も何もかもを変えるほどに。

それこそシュレディンガーが地位も名誉も捨てて物理学をやめてしまうほどにです。

なのでここから先を読む方は、ある程度の覚悟を決めて下さいね。いくら最近のYouTube等で同じようなことを言っている人が居るからといって、衝撃は決して小さくはないはずです。
いいえ、言葉を濁さすにはっきりとこう言いましょう。

もし理解して受け入れることが出来たなら、

今までにどんな人生を送ってきた人であっても、人生で最大の衝撃である

と。

これは私の予想ですが、ある年齢以上の方は受け入れることが極めて困難だと予測しています。恐らく若い人の方が受け入れやすいような直感を持っていますが、これは過去の歴史からそう思うものです。
本サイトのメイン項目が未来人向けと書いているのも、そのためです。
理解して受け入れた人を”人類2.0”と私が呼ぶのも、きっと大袈裟ではないはずです。

ですが年齢にかかわらず今現在、耐えきれないほどの苦しみや不幸の中に居る方にとっては、この仮説は間違いなくそれらを和らげるものとなるでしょう。
どの程度和らげることが出来るかは理解の程度によりますが、もしも完全に理解することができれば原理的に100%和らぐはずです。
因みに今までにそれが出来た有名な人物は、釈迦だと私は考えています。

逆に、今現在何不自由なく幸せに過ごしている人は敢えて知る必要は無いと考えますので、これ以上進まず現在の価値観のまま過ごすのも良い選択です。
これは本当の最終目的地の話なのでここでは詳しく述べませんが、私は最終的に全人類が幸福になれば良いと考えているので、今現在最高に幸せな人は特に何も変えない方が良いと思っています。

その様な方はいつか必要となった時に改めて読めば良いでしょう。

何れにせよ、判断はあなたにお任せします。
現代に於いて読んだ方の何パーセントが私の仮説を受け入れることが出来るのかは想像もつきませんが、この先に進む方は覚悟を決めて下さいね。


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