ノーベル賞を取った”量子もつれ”とは
今年のノーベル物理学賞が決まりましたね。内容は量子力学における”量子もつれ”の実験による証明のようです。
さあて、ノーベル物理学賞が決まってから”量子もつれ”については色々な場所で詳しい解説がされていますので、ここでは少し毛色の違う説明をしてみましょうか。
と言うよりも何を隠そう、”量子もつれ”の証明というのは私の思想や世界観、宇宙観、いいえ、もっと言えば私が真理だと考える信仰(メタフェイス)に大変大きな影響を与えているのです。
何故なら”量子もつれ”の証明は、この宇宙のイメージを大きく変えるような事を示唆しているからです。
では一体、”量子もつれ”は何を示唆しているのでしょうか?
物理学というのは他の科学と同様に、時代によって塗り替えられて来た学問です。
ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーアと言った具合に先人達の作った理論は時代が進むにつれて修正されたり書き換えられて来ました。
しかしながら物理法則の中には、普遍的で今後も変わらないとされている物もあります。
例えば”エネルギー保存則”であったり、”運動量保存則”であったりがこれらに当てはまります。
そしてその中には“この宇宙には光よりも速い物は無い”という法則があるのですが、恐らく聞いたことがある人も多いはずです。
これはアインシュタインの相対性理論の基盤となっている法則であり、この宇宙の仕様だとされていました。そして実際に、今までに光よりも速い物は発見されていません。
ですが今回の”量子もつれ”の証明は、
光よりもずっと速い物がある事を証明してしまった
のですよ。さて、興味が出てきましたか??
“この宇宙には光よりも速い物は無い”という言葉はいわば一般向けの言葉であり、正確な物理法則は少し異なります。
これを正確に言うなら、“この宇宙では真空中の光速度よりも速く情報が伝わることは無い”です。
物体では無く、“情報が伝わるスピード”の最大値が真空中の光速なのですよ。
余談ですが、宇宙が出来た初期の頃の宇宙の膨張スピードは光速よりも遙かに速いし、現在の宇宙でも地球から最も遠い場所が膨張する(地球から遠ざかる)スピードだって光速を越えているかもしれません。(これについてはまだ良く分かっていないと思います)
当然ながら光速を超えて遠ざかっている星があったとしても、光を含めあらゆる情報が届かないのですから観測することは不可能ですよね。なので“この宇宙では真空中の光速度よりも速く情報が伝わることは無い”という法則は光速よりも速い物があっても必ず成り立ったのです。
しかしながら、ついにその法則を破ったのが”量子もつれ”なのですよ。アインシュタインが”量子もつれ”の存在について反対していたのも、きっと光速を越える現象が起きる事への反発だったのではないでしょうか?
実際にアインシュタインは”量子もつれ”のことを「不気味な遠隔作用」と言って批判していたそうですね。
さて、それでは”量子もつれ”の簡単な解説をしておきましょう。
量子というのはとっても小さい粒々のことでしたね。電子や光子などの素粒子は全て量子と言われていますが、原子や分子レベルの大きさでも量子力学的現象が起きることが実験で判っています。
そして、日常の世界で運動量保存則が成り立つように、量子の世界でも同様に成り立つ“スピン”の法則という物があります。
例えばボーリングのボールの中に火薬を仕込んで爆発させたら、真っ二つに割れて右と左に飛んで行ったとしましょう。
この時に右に飛んだ破片と左に飛んだ破片の運動量を足した物は必ず一定の値(この場合はゼロ)となります。
もし両方の質量が同じならば、向きは逆方向でスピードは同じになりますね。これが運動量保存則の例です。
図1 割れたボーリングのボールの運動量は保存する
これと同様の法則が量子の世界にも存在していて、放射性元素でも何でもいいですが、量子のペアが生成された時に片方のスピンが右回りだとしたら、必ずもう片方のスピンは左回りになる様な法則があるのです。
スピンが何なのかは難しいので理解しなくても良いです。とにかくそういう物理量と法則があるのです。
図2 誕生したペアの量子のスピンは回転方向が逆になる
さて、ここからが量子力学の難しいところですが、今までに書いてきたとおり量子というのは人間が観測するまでは何も確定していません。つまりこの例では、ペアとなっている二つの粒子のスピンは観測されるまではどっち回りなのかが決まっていないのですよ。
繰り返しになりますがとても重要なことなので書いておきますが、観測するまでは“判らない”のではなく、“決まっていない”のです。この辺りが日常の感覚からすると量子力学がぶっ飛んでいるところでしたね。
さて、ではペアとなっている二つの粒子のスピンを観測せずに、思い切り両者の距離を離してみましょう。例えば1光年先とかに。
1光年先ということは光の速度で進んでも1年かかるような距離ですね。片方の量子は地球に置いておくとしましょう。
では地球に有る方の量子のスピンを観測したなら、1光年離れたところにある相方の量子はどうなるでしょうか?
相方の量子は必ず逆方向のスピンになっているはずなので、地球にある量子を観測した時点で1光年先にある相方の量子のスピン方向も決まるはずですね。
では地球にある量子が観測されてスピン方向が決まったことが1光年先にある相方の量子に伝わるにはどれくらいの時間がかかるでしょうか? つまりその情報が伝わる速度とは?
あらゆる情報は最大でも光速と同じ速度で伝わるはずだから、1年以上かかるのでしょうか?
結果は、
一瞬で伝わる
です。これが”量子もつれ”について証明した内容です。
もちろん実際には一光年も離したわけでなく実験室で行われたわけですが、その情報が伝わる速度は光速を越えていることが分かったのですよ。(最近では実験室ではなく、地上と人工衛星との間でも実験が成功しています)
アインシュタインはこれが“光速よりも速く情報が伝わることは無い”という、相対性理論の元になっている法則に反するから反対していたのです。
代わりにアインシュタインは、量子のスピンは決まっていないのではなく“知ることが出来ないだけ”であり、量子の中で隠れた変数の様な物が始めから決まっているのだという仮説を考えました。
もし始めからスピンの向きが決まっているならば“光速よりも速く情報は伝わらない”と言う法則を破らずにすみますね。
因みにアインシュタインの“神はサイコロ遊びを好まない”という有名な言葉はこの時に言ったとされています。
そして結局どちらの仮説が正しいのかが分からないまま、アインシュタインは亡くなりました。
しかしながら後に行われた数々の実験により、アインシュタインが間違っていたことが分かったのです。
それを証明した実験こそが、今回のノーベル物理学賞の元です。
内容は難しいのでざっと言いますが、もしもアインシュタインが考えた隠れた変数説が正しいとすれば、必ず成り立つとされる“ベルの不等式”というものがありました。
ですがそれが成り立たないことが実験により証明されたので、隠れた変数説は間違っていることが分かったのです。
しかしながら離れた場所にある二つの量子のスピン情報が“なぜ光速を越えて一瞬で伝わるのか? またどうやって伝わっているのか?”については現代の物理学でも分かっていません。
これはいつもの事ですね。
さて、物理的な解説はこの辺にしておきましょう。
説明の“分かりやすさ”と“正確さ”の両立というのは常に私のテーマなのですがいかがだったでしょうか?
さてここから先は、私の解釈となります。
皆さんは恐らく、殆どの人にとって”量子もつれ”の証明などは、どうでも良い話だと思っていることでしょう。ですが私はそうではないと考えています。
では”量子もつれ”は一体何を示唆し、我々に何をもたらしてくれるのでしょうか?
先ほど量子のスピンの情報は1光年先にあっても“一瞬で伝わる”と言いましたね。
では一瞬とは具体的には何秒でしょうか?
私は距離に関わらず“1プランク時間”だと考えています。そうなるとつまり速度は可変と言うことですね。
また“量子もつれ”が正しいとすれば、SF映画に出てくるようなテレポーテーションも理論的には可能だとされています。
それが本当ならば、理論的には例えば250万光年離れたアンドロメダ銀河にだって、一瞬で行けてしまうことになりますね。
もしそんな時代が来たら飛行機もロケットも必要ありません。
他にも量子コンピューターにはこの”量子もつれ”が欠かせませんし、光より速く情報が伝わるのなら高速通信にもこの原理は使えることでしょう。
この“量子もつれ”を利用した技術を使えば、正にSFの様な未来が待っているかもしれませんね。
ですが敢えてこう言いましょう。
私はそんなことには興味がない
と。この話に限らず物理学というのはいつもテクノロジーにばかり使用されますが、この件が我々の世界観や死生観、真理に与える影響はないのでしょうか?
明日から生活や価値観に何か変化を与えてはくれないのでしょうか?
自分の存在理由や生きる理由にヒントをくれることはないのでしょうか?
そっちを考えるのが本サイトのメイン目的です。
始めに書いたとおり、私は”量子もつれ”から多くのインスピレーションを受けています。
そして現時点で私が真理だと考えている宇宙観、世界観に、この現象はピタリと当てはまり、逆に真理(メタフェイス)を使えば物理学者も理由が分からないこの不思議な現象を一発で説明することが出来ます。
それどころかむしろ、どんなに離れていても1プランク時間でスピン情報が伝わるのが当たり前なのです。
もしかしたらアインシュタインも薄々その真理に気づいていて、でも心情的に受け入れられなかったのではないか?とさえ私は思っています。
ではその真理とは何なのか、それが我々の人生にどんな影響を与えるのかについて、これからじっくり書いていきましょう。
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