「VR仮説」と「シミュレーション仮説」の違いを定義する


今回の内容はとても重要であり、そして少し難しい内容になるかと思います。
私の提唱するVR仮説ですが、これは「この宇宙がコンピューターによって作られたニセモノだ」という物でしたね。要するにこの世界はコンピューターシミュレーションであることと同意でしょう。

そして世の中には「シミュレーション仮説」と呼ばれるものが存在しますね。
これも同様に、この宇宙がコンピューターシミュレーションによって作られているというものです。
アンケートでも時々「VR仮説とはシミュレーション仮説のことではないか?」とのご質問を頂いたりします。
ですがVR仮説の定義はもう少し厳密です。

実はVR仮説はシミュレーション仮説の中の一部です。これらはこの宇宙がコンピューターによって作られているという点に於いては同じですからね。
ですがVR仮説はそれにプラスして

人間が自由意志を持っている

ことを前提とする物なのですよ。
これについては

3D映画とVRゲームの違い

だと考えるととても理解しやすいでしょう。

私の知る限りシミュレーション仮説は単にこの宇宙がコンピューターによって作られている事だけがその定義だと思うので、例えば3D映画を一人称視点で見ている様なものもシミュレーション仮説に含まれるでしょう。
つまり全ての物語は決まっており、その内容に人間は干渉することは出来ず、単に見ているだけなのが映画ですね。
そしてその映画が全てCGで作られていれば、それもシミュレーション仮説に含まれると言えるでしょう。

現代の映画館で見る映画は3Dであっても皆で同じスクリーンを見ていますが、もし将来にそれぞれの登場人物の視点で見られるような映画か開発され、今流行りの4Dにプラスして五感や感情まで体感出来るシステムが開発されたなら、あたかも本当にこの世界に生きているような錯覚に陥ることでしょう。
そして「実はこの世界がそうである」というのがシミュレーション仮説の中でも自由意志を持たない仮説です。
ここではそれを

「3D映画仮説」

と名づけることにしましょう。

対するVR仮説は、3D映画とは全く異なります。登場人物はただ見ているだけでなく、その世界の中にバリバリに干渉することが出来ます。
つまりこっちは3Dゲームのプレイヤーになる様なイメージです。ええ、我々は映画を見ているだけのただの観客ではなくプレイヤーなのですよ。つまり物語の結末は決まっておらず、我々次第。
この場合はコンピューターで作られた世界の中で人は自由に振る舞うことが出来るので、人間は自由意志を持っていることになりますね。
そしてこちらの仮説の方を私は「VR仮説」と名づけたのですよ。

よってシミュレーション仮説とVR仮説には似ているところもありますが、根本的に異なる部分があるわけです。
そう、

観客とプレイヤーの違い

です。
そして私はこの世界を映画ではなくゲームだと考えています。
なのでVR仮説という言葉にこだわっているのですよ。

もちろん現在に於いて、人間が自由意志を持っているかどうかは意見が分かれており、まだ良く判らないとされているようですね。そしてこれはとても深遠な問題です。
もしこの世界が3D映画の様なもので我々が自由意志を持っていないとしたら、我々は自分で選んだり決めたりしている気分になっているだけで、実は全ては始めから決まっていることになりますね。
ええ、映画ですから宇宙が誕生したときから全ての出来事が決まっているのです。

ならば我々には何の力も無く、考えるだけ無駄、やるだけ無駄だという発想に至ることでしょう。
例えるならこれは、映画を見ながらその登場人物のセリフやストーリー展開をどうしようかと視聴者が悩むようなものですからね(笑)。

そして人間には自由意志が無いかのように思える実験が存在しますね。
例えば以下のリベットの実験などが有名でしょう。

動画1
動画2

リベットの実験については、また改めて論じようと思います。
そもそもリベットの実験に代表されるように、人間が自由意志を持っていないように見える現象が観測されるのは、ある仮定を取り入れることで全て解決します。
そして人間が自由意志を持っていたとしても、全てを矛盾なく説明出来る答えを私は持っています。


本サイトで私が正しいと仮定しているのは3D映画仮説も含める広い意味でのシミュレーション仮説ではなく、あくまで人間が自由意志を持つことを前提とするVR仮説です。
そもそも人間に自由意志が無いと仮定すると、物理の世界に色々な矛盾が発生すると思います。

さて、皆さんは人間が自由意志を持っていると思いますか?
それともそんな気がするだけで、まるで映画を見ているように全ては始めから決まっていると思いますか?


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