VR解釈で“空”を説明する


前回の続きですので、先にそちらを読んで下さいね。

釈迦が悟りの内容を当時の人に説明するために用いたとされる”空”という概念は、現在に於いても極めて難解だとされています。
ではこの”空”について、物理学を使った説明は既にしたので次にVR解釈を使った説明をしてみましょう。

”空”について書かれている仏教のお経は、般若心経(はんにゃしんぎょう)が有名ですね。
般若心経は最も多くの宗派にて用いられているお経ではないでしょうか??

この般若心経も実は釈迦の教えではなく中国で作られた偽経だという説が有力っぽいですが、取り敢えずそれは置いておいて”空”について書かれているこのお経を今回は取り上げてみましょう。

仏教には「全ての物は空である」という考え方があります。
実際に仏教では物質だけでなく五感や人間の心を含めたあらゆる物が”空”だとしていますが、今回は簡略化のため物質的な物だけを考えてみましょう。

”空”とは”上位概念”を考えるに書いたとおり、有と無の上位概念でしたね。物理学を使ってこれを説明すると超弦理論になりましたが、VR解釈を使って説明するとどうなるでしょうか?

VR解釈に於いて”空”とは、マスターコンピューターのVRAM内の三次元マップデータのことです。具体的に言えば、コンピューター内に作られた仮想の三次元空間内を細かい(プランク長サイズの)グリッドに分けた時の全グリッドのデータのことです。
(なのでこの世界は連続的ではなく離散的になってしまうのです)

例えば素粒子ならば最小サイズの体積、つまり一つのグリッドで表わされ、グリッドのデータの中には素粒子の速度や種類などが入っているはずです。

マスターコンピューターのVRAM内のグリッド(マップ)情報はメタ世界の情報なので、我々に観測されてレンダリング計算されて我々の世界に現れるまでは、VRAM内の物体は有るとも言えないし無いとも言えません。正しい表現は“未計算”です。
ただしVRAM内に存在する全ての物体は、観測されレンダリングされることでいつでも”有”になるポテンシャルを持っています
そして実際にこの世界の任意の場所(グリッド)は、レンダリング計算によって何にでもなる事が出来ますね。

少し話が難しいと思うので次元を一つ落とし、且つもっと簡単に”空”について説明してみましょう。
皆さんが普段使っている液晶モニターがありますね?
テレビでもPC用のモニターでもスマホの画面でも何でもいいですが、これらの液晶画面が小さいドットが集まって出来ている事は知っていますね?
知らない方は是非、虫眼鏡で液晶画面を見てみてください。

”空”とは、一言で言えばこの液晶画面のドットのことです。モニターに映されるあらゆる物は液晶のドットによって描かれています。
つまりこのドットはあらゆる物になる事が出来るし、何にもならない事も出来ます
そして何かになるためには何らかの色がついた光を発しますよね?
(液晶画面は消灯すると黒色を表わしますが、黒色=何にもならない という意味ではありませんよ。消灯は黒色ではなく、何も機能しないという意味です)

そして液晶のドットがたくさん集まることで猫の顔になったり可愛い女の子になる事も出来るわけです。
因みに物理学に於いては、この一つのドットが超弦理論の“ひも”だと思うと理解しやすいでしょう。
ひもはどんな素粒子にもなる事ができ、その素粒子が集まって原子を作り、原子が集まることで地球や生物も作られています。
これはモニターに表示されるあらゆる物が多くの液晶のドットが集まる事で描かれているのと同様でしょう。

つまり液晶画面のドットは、常に何かになる能力だけを持っており、有と無の上位概念になるのですよ。

要するに仏教ではこの世界の物は全て、この液晶のドットの様な物だと言っているのです。もっと言えば「全ての物は液晶のドットで描かれている」となるでしょう。

つまり、物質が実在するのではなく情報だけが存在していると。

コンピューターという言葉こそ使われていないものの、この考え方は正にVR解釈にそっくりですね。
もしVR解釈が正しければ、仏教の言うとおり「物質は全て空である」が正しい事になるでしょう。

因みに般若心経の中でも最も有名なフレーズが

色即是空、空即是色。(シキソクゼクウ、クウソクゼシキ)

だと思います。
これは「色はすなわち空であり、空はすなわち色である」という意味です。
仏教で言う色(しき)とは、物質の事を指します。
つまり現代語に訳すとこれは、

物質は全て空であり、空は全て物質である

となりますね。

液晶モニターはドットが色(いろ)を発することで物質を表示することができます。
つまり

ドットが色を帯びると仏教で言うところの“空”が“色(物質)”になる

のですよ。
うーむ、これは偶然なのかもしれませんが、どちらも同じ漢字の“色”になります。これには個人的にビックリしました。
仏教の教えの中でも最高レベルに重要な”空”について、VR解釈があまりにエレガントに説明できることに驚きませんか?

さて、ここからは少し余談ですが、般若心経では次に

空は全て物質である

とも言っています。しかしながらこれは間違いだとされているようです。
どうやら般若心経を作った人が”空”を良く理解していなかったために間違えたという説が有力っぽいですね。

ここで「空は全て物質である」と言ってしまうと、物質と空が同じものという意味になってしまいますからね。
今までに言ってきたように”空”は“有”と“無”の共通の上位概念ですから、例えるなら般若心経のこのフレーズは、

猫は哺乳類である。哺乳類は猫である。

と言っているようなものでしょう。当然ながら前の文は正しいですが、後ろの文は成り立つとは限りませんね。

ついでにこれを物理学で言えば、
猫は超弦である。超弦は猫である。

同じくこれをVR解釈で言えば、
猫は液晶のドットである。液晶のドットは猫である。

何れも前の文は正しいですが、後ろの文は成り立つとは限りません。

元々、”空”は釈迦が悟りの内容を説明するために用いた概念のようですが、今までは理解するのが非常に難しい概念だとされてきました。
”空”の理解は悟りを開くために不可欠であり、また悟りに直結するもののようですが、”空”を理解するためにはこのVR解釈がかなり役立つと思います。ええ、単なる液晶のドットですから。

あくまで私の作るメタフェイスは仏教に肩入れするものではなく、プロジェクトの内容について に書いたとおり全ての宗教や価値観の上位互換の概念となるものです。
そしてこの様に山の頂上を示せば、仏教が頂上に繋がる正しいルートを上ってきたことが良く分かるでしょう。

今回は仏教の教えを取り上げましたが、この例からメタフェイスのパワーを少しでも感じて頂けると嬉しいです。


戻る   トップページ