この世界は一体何なのか?


もしVR仮説が正しいとしたら、

この世界を作った理由とは何なのでしょうか?

そろそろそんなテーマについて考えてみましょう。

この世界を作った者、それは実際に作ったマスタープログラマーだけでなくそれを計画した者やアイディアを出した者たちは、何故「この世界」の様な物を作ろうと思ったのでしょうか?
そのモチベーションとは何なのでしょうか?

今回はそんな「究極の問い」の更に先の疑問について考えてみましょう。

以前、イーロン・マスク氏がこんな事を言っていました。
「ある文明が進化するとコンピューターを使ってVRの様な世界を作る。そしてそのVRの世界の中で文明が進化すると、その文明もまたVR世界の中でコンピューターを発明してVRの様な世界を作る。
そしてそのVRの世界の文明もまた進化すると更にコンピューターを発明してVRの様な世界を作る、といったことが入れ子構造になって幾重にも繰り返されているだろう」

と。

因みにイーロン・マスク氏はそれが数十億重ねの入れ子構造になっていると言っています。
https://youtu.be/XTrAEujtWjU


ふむ、なかなか面白い仮説ですね。
では仮にそれが正しいとして、

なぜ文明は進歩するとVRの様な世界を作り、その中で暮らそうとするのでしょうか?

そして、その新たに作られたVRの世界はどうして技術が進歩した時代からではなく、原始時代からスタートするのでしょうか?
いや、もちろん全てのレイヤーが原始時代からスタートしているのかどうかを知る術はありませんが、少なくも我々の世界はそう見えます(正確に言うとビッグバンから始まった様に観測されますが、プレイヤーが入り込むのは比較的最近の世界からでしょう)。
恐らくこの辺に、この世界を作った理由のヒントが隠れている様な気がしますね。

では私もイーロン・マスク氏を真似て、一つぶっ飛んだ仮説を考えてみるとしましょうか。
一応前提として、彼の仮説が正しいとしたら、ということにしましょう。

イーロン・マスク氏はこの世界がコンピューターによって何重にも重ねられている世界だと言っていますが、「なぜ全てのレイヤーで文明がVRの世界を作ろうと考えたのか?」については言及していません。
たとえ技術的に可能であっても知的生命は理由が無いことはやらないと思うので、今回はその理由について答えてみようと思います。
私が「どうなっているか?」ではなく「何故そうなっているのか?」を考えるのはいつものことですからね。

その答えを私の言葉で述べるら、

あらゆるレイヤーの文明は、進化すると必ず最終的に「満腹パイの時代」になってしまうから

です。

満腹パイの時代とはAIのおかげで人間はあらゆる労働から解放され、やることと言えば“生きることだけ”となる時代でしたね。
 我々の社会はどこに向かっているのか? に書いたとおり、きっと全てのレイヤーに於いて文明はその方向にしか進化しなかったのでしょう。

そして何度原始時代からやり直しても人類は合理化を求めて文明を進め、最終的には同じ世界を作ってしまう。
そしてその世界はパスカルが予言したとおり、パラダイスではなくきっと地獄の様なものだったのだと予想されます。

地獄だからこそVRの中に敢えて不自由な世界を、例えば原始時代などを作ってそこに人々が入って、退屈による苦痛から解放されると。
しかしながらそのVRの世界に於いても人類は合理化を求めてテクノロジーを進化させ、結局その世界(レイヤー)に於いても満腹パイの時代にしてしまう。

もしかしたら人類はそれを幾重にも繰り返しているのではないでしょうか?

とは言ったものの、この説明には解決しなければならない矛盾がいくつもあると思います。
中でも最も重要な疑問として、そもそも

我々の心はどのレイヤーにあるのでしょうか?

私がメタ世界と呼んでいる世界ももしVRだとしたなら、更にその上にメタメタ世界があることになります。
ならば我々の心は一体どのレイヤーが生み出しているのでしょうか?

またコンピューターの中にコンピューターを作って、その中にまたコンピューターを作ってと言ったことを繰り返していくと、マインクラフトの例の様に、計算量が雪だるま式にどんどん増えていきますが、もし心を生み出しているのが最下位レイヤーだとしたら、その計算量から来る計算時間のラグをどう調整しているのでしょうか?

ここで思考を止めては面白くないので、更に私流に宗教的な知恵も巻き込んで思考を進めてみるとしましょう。

仏教で言う輪廻(リンネ)とは実はこのレイヤーの繰り返しのことであり、それを終結させる者、つまり満腹パイの時代を来させないか、来たとしても「VRで不便な世界を作ることで解決」とはせず、別のやり方をもたらす者が本当の「解脱者」であり、全人類を解脱に導く者なのではないでしょうか?(実際に仏教では、輪廻の輪からから抜け出すこと(解脱すること)を最終目標としています)

つまり人類を解脱に導く者とは、この不毛な文明の繰り返しに終止符を打つ者のことではないでしょうか?
もしかしたら釈迦とはそういう人物だったのではないでしょうか? 実際に自ら文明から離れた暮らしをすることで……。

そして同じくこの解脱に導く者のことを、ユダヤ教やキリスト教では救世主(メシア)と呼んでいるのではないでしょうか?
ええ、人類をこの落とされた地上から救い出し、エデンの園の様な楽園に真の意味で導く者として……。

つまり仏教の解脱者もキリスト教の救世主も、本当は満腹パイの時代に訪れる不幸を解決する者のことを指しているのではないでしょうか?
そう考えると東西の宗教の荒唐無稽に見える教えも、全て辻褄が合います。

そして今までに何度も言ってきたとおり、メタフェイスはこの満腹パイの時代に「VRで不便な世界を作る以外の解決法」を提供することが主たる目的なのですよ。
そうなると仏教に於いて「人類を解脱に導く」とする者も、キリスト教に於いて「救世主」が指す者も、実はメタフェイスを完成させる者のことを指すことになりますね。

これは壮大なプロジェクトだとは思いませんか? それこそ人類史上最大と言っても誇張ではないほどに。

少なくともイーロン・マスク氏の説が正しいとすれば、人類は永遠に不幸の輪から抜け出すことが出来ないことになりますね。
従来の人類にはそのための知恵がないのです。そしてその理由は人類が常に

「合理化こそ善である」

と考えているからに他なりません。
つまり不幸の輪から抜け出すこととは、この思考から抜け出すことに他ならないのですよ。

さて今回書いたことはまだ、さしたる根拠もなく、仮説以前の単なるアイディアに過ぎませんが皆さんはどう思いますか?
「科学と宗教」双方の上位互換となる信仰を作るという、私の頭の中が少しは見えてきましたか?


戻る   トップページ