自由意志の有無がなぜ重要なのか? その1


「人間の価値とは結局なんなのか」「運命は全て決まっているのか?」で述べたように、本サイトには「自由意志」という言葉が何度か登場していますが、なぜ自由意志の有無が我々にとって重要なのかが良くわからない人が多いと思われます。

実際に自由意志の有無は、メタフェイスに限らずあらゆる事を考える上でとても重要となります。
自由意志の定義とはChatGPTが答えたように、まあ簡単に言えば「我々人間が自分の意志で自分の行動を決めている事」を意味します。

逆にもし人間に自由意志が無いとしたら、我々には自分の行動を決める能力は無く、ただ脳が勝手に決めて行っていることをあたかも自分の意志で行ったと錯覚しているだけということになるでしょう。

因みにもし人間に自由意志が無いとしたら、自分の行動も他人の行動も何もかも始めから決まっていると捉える人が多いですね。
これを日常的な言葉で言うなら、

運命は全て決まっている

となるでしょう。
さて、運命が本当に決まっているかどうかは皆さんにとっても重要なテーマではありませんか?
だってもし運命が決まっているのだったら、何をどう頑張っても結果が変わることはなく全ては無駄ってことになりますからね。

因みに世の中には「運命は全て決まっている」とする運命論を信じている人も多く居るようですね。そのように考える人は、きっと科学者の中にも居ることでしょう。
そして彼らは上記の定義によれば「人間は自分の言動も含めて何も変えることが出来ない」
つまり

「人間は自由意志を持たない」

と信じている人となるでしょう。
未来が全て決まっていると考えている運命論者は、私の言葉で言えば3D映画仮説を信じている人と同意となりますね。

ここで「もし人間が自由意志を持っていなければ、論理的にこの世界の未来は全てが機械的に決まっているのではないか?」と考える人が居るかも知れませんが、そうではありません
「この世界の未来は全て決まっている」という考え方を「決定論的な世界観」と言ったりしますが、

「自由意志が無いこと」イコール「決定論が正しいこと」にはなりません。

これは意外だと思う人が多いかもしれませんね。実際に混同している人をよく見ます。

物理の世界では決定論的な世界観というのは、量子力学が生まれる前、つまり19世紀以前の古典物理学の世界観なのですよ。
量子力学以降の物理学では、この世界の未来は未決定ということになっています。
アインシュタインの有名な「神はサイコロを振らない」という言葉もこの未決定な世界観に反対していた彼の言葉でしたね。
ですが100年以上にわたり数多く繰り返された実験にて、アインシュタインではなく量子力学が正しいことが分かったのは以前に書いたとおりです。

自由意志と決定論について分かりやすい例えを出すと、放射性元素は自由意志を持っていませんよね?
ですがいつ放射線を放出するかは決まっていませんし正確な予測も出来ません。文字通りサイコロを振るようにランダムに放出します。
つまり自由意志が無いことと決定論が正しいことは別物なのです。

よって現在に於いても「未来は全て決まっている」とする決定論者らは、量子力学を考慮した現代物理学以前の、19世紀以前の古典物理学に基づく世界観を信じていることになります。
ですが実は3D映画仮説が正しく、量子はあたかも人間が観測するまでは「決まっていないふり」をしているだけであり、実は人間がいつ何を観測するのかを含めて全ては決まっているとする考え方もあるでしょう。

実際にこの3D映画仮説が間違っているのかどうかは分かりませんが、少なくとも現代の物理的な観点から言えば間違っています。
例えば量子コンピューターは量子の状態が未決定のままで計算をすることで高速計算を実現していますが、もし実は決定しているのだとしたら、この現象を説明する新しい物理学を作らなければなりません。

つまり同じ現象を説明するために決定論(古典物理学)に基づいた量子力学以外の新しい仮説が必要となるわけですが、これは極めて難解だと思われます(アインシュタインでも不可能でした)。
なのでそのことを知る物理学者は誰も決定論は信じていません。
よって3D映画仮説が正しいとするためには、現実世界の出来事を説明するために物理学を超えた何らかのアイデアや理論、解釈を考える必要があります。

続く……。

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