戦争を無くす事は出来るのか(後編)
続きです。
しかしながら本能的な理由はそうであっても、人間は高度に知能が発達している生き物です。なので、よりこれらを抽象的なレベルで考えることが可能となります。
それを具体的に言うなら”イデオロギー”だったり、”信仰の違い”だったりといったものです。
よって一般的な言葉で言えば、戦争を起こす理由は主に以下の2つに大きく分類されるでしょう。
1, 経済的な理由
2, イデオロギー的な理由
1については上記の本能的な理由に近いでしょう。昔は自分やその家族が生きるために獲物を取り合ったり土地を奪い合ったりしていたものが、現代では社会がより複雑になっているだけですね。
ですがとても重要なことを先に言っておきましょう。経済的な問題、特に貧困問題などは近い未来に解決されるでしょう。
天然痘を撲滅したように、人類が貧困も撲滅する日が近づいているのです。その理由はただ一つ。テクノロジーの進歩です。
特にAI技術のブレークスルーが近い未来にそれを実現することでしょう。なのでこの問題は放って置いてもいずれ解決します。
この話については、我々の社会はどこに向かっているのか?に詳しく書いてあるので、ここでは省略しますね。
もしちろん将来、世界の人口が地球の物理的なキャパを超えるなどする可能性もありますし、その他にも細かい問題が起きる可能性はあるでしょう。ですが私は経済的な問題については、比較的楽観的に考えています。
さて、問題は2についてです。
これは恐らく他の生物にはない、人間だけが持つ特徴でしょう。
人間はより抽象的な思考ができるため、宗教やイデオロギーの様な概念を生み出しました。これらは時に生存のための強力な武器となりますが、残念ながら両刃なのです。
イデオロギーと言っても資本主義や社会主義(共産主義)と言ったものは比較的結果がわかりやすいので、いつの日かどこかに収束すると考えます。保守やリベラル、右や左と言ったイデオロギーも、比較的目に見える結果が出るものでしょう。
ところが宗教や文化や慣習には正解がないため、それらの違いがいつの時代も戦争の種になってきましたね。
そして文化や慣習というのは、多くの国では宗教に基づいています。よってイデオロギーの最も本質的な部分の相違というのはやはり、信仰、宗教の違いであると換言できるでしょう。
よってこれらの違いを何らかの方法で乗り越えられない限り、人類が完全に戦争を放棄することはないと私は考えています。
もちろん、宗教が違っているからと言って必ずしも争うわけではありません。特に日本人は八百万(やおよろず)の神を信じていることが多いので、「宗教の違いで殺し合う」などと言われてもピンとこないことが多いでしょう。
ですが一神教の宗教は、信仰心が強ければ強いほど他の一神教の宗教とぶつかる論理的構造を持ってしまっています。
なぜなら違う教えの一神教の宗教がどちらも正しいことは論理的にあり得ないからです。
またこれらの宗教は布教することを“善”や、”義務”としていることが多いでしょう。でも他の宗教を信じる者たちに自分の宗教を布教しようとすれば、それは争いになるのも頷けますね。
本来宗教は人々を幸せにすることを(少なくとも表向きは)目的に生まれたはずですが、この副作用は残念です。
ではこの問題をどうやって解決すれば良いのか?
1, 全人類が宗教を放棄する
2, 全人類が同じ一つの宗教を信仰する
論理的に考えれば、この2つの方法がありそうですね。
1は宗教自体を無くしてしまう方法で、2は例えば全人類がキリスト教徒になるような方法でしょう。
ですが既にお気付きの通り、どちらも実現することはありえません。人間は必ず信仰を求めるし、それがなければ生きていけない人が多くいます。このあたりは日本人はあまりピンと来ないかもしれませんが、世界の殆どの人々は何らかの神を信じ、そしてその多くが強い信仰心を持っているのです。
次に2についでです。
全人類が同じ宗教を信仰するようにする事は現実的には、まず不可能でしょう。もし無理やりやろうとすれば、その過程で壮絶な争いや戦争、殺し合いになることが容易に想像できますね。きっとその過程で世界人口の何分の一かが消えることでしょう。
よってそもそもこれはやるべきでもないし、現実的ではありません。
だからこう言っているのです。
まだ戦争を無くす方法が発明されていない
と。
しかしながら上記の2つの選択肢が不可能だとしても、我々にはまだ第三の方法が残っています。それを発明と呼ぶかどうかは置いておいて、存在はしていると考えます。
その方法を一言で言えば、既存の宗教を信仰したままの状態でイデオロギーの違いを乗り越えられるということです。
その具体的な内容については本サイトの中でもメインテーマに近い話になるため、また改めて述べていきましょう。
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