資本主義と共産主義の上位概念


あらゆる問題の原因は、突き詰めるとお金の問題である」

そんな言葉があります。もちろんそれ以外の問題だって確かにあるでしょう。
お金では治らない病気や障害もあるし、家族や恋人や友人はお金では買えません。ですがこれらとて、もしお金が十分にあれば事情がある程度マシになることが多いのではないですか?

貧困問題はもちろん、離婚、虐待、いじめ、自殺、差別、或いは殺人、詐欺などの多くの犯罪、あらゆる事故、少子化、遺産相続のいざこざ、性感染症の増加、etc……。我々の身近にあるこれらだけを見ても、その根っこにはお金の問題があることが多いはずです。

また言うまでもなく有史以来、戦争が起きる最も大きな原因は経済的な理由です。それを隠すために国家は綺麗事を言うことが殆どですが、実際には直接的にも間接的にもお金が絡まない戦争などは過去に存在しないでしょう。
宗教やイデオロギーの違いによって起きた様に見える戦争だって、必ず裏では金銭的な利害が絡んでいるのです。

では今回は宗教の話は一旦置いておくとして、イデオロギーの話を考えてみましょう。
イデオロギーにも色々ありますが、今回は最もメジャーな経済に於けるイデオロギーである資本主義と共産主義(社会主義。以下、共産主義に統一します)について考えてみるとしましょう。

内容については皆さんも知っていると思うのでここに詳しくは書きませんが、日本は東西冷戦時代から資本主義側の陣営と言われていますね。
やがてソ連が崩壊し、ベルリンの壁が崩壊した時には、共産主義は上手くいかないのだと誰もが思ったものでした。
そして現在では共産主義を自称する国は世界でわずか五カ国と、とても少なくなりましたね。

今では信じられないことですが、昔は資本主義と共産主義の両陣営がイデオロギーの違いから戦争をしていました。東西の冷戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争の様な大国間の代理戦争がそれです。
特にアメリカはただ共産主義国を増やさないためだけに戦争をすることもあったのですよ。

私は昔から「資本主義と共産主義以外の新しいシステムのアイディアは無いのか?」とずっと不思議に思っていましたが、本格的なものはついに現れませんでしたね。
しかしながら近い未来に、ついに新しいものが現れる事になるでしょう。
その未来こそがいつも述べている「満腹パイ」の時代です。

満腹パイの時代は究極の資本主義であると同時に、究極の共産主義でもあると言えるでしょう。
現在の中国では政治は共産主義で経済は資本主義と言われていますが、満腹パイの時代はそれとは全く次元が異なります。
中国はいわば資本主義と共産主義が混ざっている状態ですが、満腹パイの時代というのは資本主義と共産主義の両者の上位互換となるイデオロギーなのですよ。

え? 相反するものの上位互換は不可能ではないかって?
そう思う方は少し共産主義に対する偏見があると思います。結果はともかくとして、イデオロギー自体の本来の目的は資本主義も共産主義も、国を豊かにして国民を経済的に幸福にすることです。
そのためのテクニカルな手法の違いが両者の違いなのですよ。

因みに共産主義は独裁者を生みやすかったり、究極的にはポルポトのような人間が出てくる可能性が資本主義と比べてずっと高いですが、それは結果論です。独裁者が支配するシステムが共産主義の定義ではありません。

昔からずっと人類は飢えと戦ってきました。そして昔はどこの国でも飢えて死ぬ人が居るのが当たり前だったのです。ですが例えば10人のうち1人が飢えて死ぬとしたら、生き残る9人が一割ずつ食べ物を我慢して飢えて死ぬ1人にあげれば10人皆が助かるのではないか。
とても簡単に言うと、そういった考え方が共産主義(社会主義)というイデオロギーのそもそもの始まりですからね。

つまり資本主義も共産主義も本来の目的は同じなのです。
ならば両者の上位互換のイデオロギーが存在していても不思議ではありません。

では満腹パイの時代をこれらのイデオロギーの観点から見てみましょう。

満腹パイの時代とはAIを搭載した機械が人間の代わりに全ての労働を行い、全ての人間は産まれてから死ぬまでやらなければならないことはなく、毎月高額のベーシックインカムを貰え、何でも好きなものが手に入る時代のことでした。

私の予想では恐らく満腹パイの時代に行くまでの間に多くの企業が統廃合され、満腹パイの時代にAIを作っている企業はきっと世界で数社だけになっていると考えています。
つまり世界の僅か数社が全ての生産とサービスを行い、その数社の経営陣と株主がある意味で世界を全て支配しているだろうというのが私の予想です。そしてこれらの企業と株主の資産は天文学的な数字になることでしょう。ええ、今のGAFAなどとは比較にならいほどに。
これはとてつもない、それこそ資本主義の究極形ですよね?

であると同時に、満腹パイの時代は上記の例でいうと10人の全てが1人も餓死せずに十分に食べられる時代です。
具体的には全ての人が使い切れないほどのお金を毎月貰え、貧困も飢餓もない社会です。つまり上記のごく一部の資本家を除く全ての人は経済的に完全に平等で、貧富の差も存在しないと言えるでしょう。
この平等で弱者を誰も見捨てないという点に於いて、満腹パイの時代は共産主義の上位互換とも言えるはずです。
ならばこれは、ある意味で共産主義の究極形ではありませんか?

つまり満腹パイの時代には資本主義や共産主義という言葉自体が無意味になっていると思われます。なので Windowsは何を変えたのか に書いた様に、満腹パイの時代は資本主義と共産主義の双方の上位概念と考えるのが適切でしょう。
よってその時代にはこれらのイデオロギーの違いも無ければ、イデオロギーの違いから来る争いも起こりようがありません。また全ての人が十分な経済力を持っているのですから、経済的なことをモチベーションとした戦争も起こりにくいはずです。
よって満腹パイの時代には「お金」という、戦争を起こす大きな理由の一つが消滅することになるでしょう。

以前にどこかに書いたかも知れませんが、私は政治とは「パイの分配方法を決めること」であり、戦争とは基本的に「パイを奪い合うこと」だと解釈しています。
ですが、

無限に大きいパイがあれば、分配も奪い合いも原理的に発生しません。

以前に人類が戦争を根絶出来ない理由は平和を訴える声や願いが足りないからではなく、まだ戦争を無くす方法が発明されていないからだと言いましたね。
ですがこの十分に大きいパイ、私の言葉で言うところの「満腹パイ」を作ることは、確実にその方法の一翼を担うことになるはずです。

因みに正直に言うと私は満腹パイの時代が来ることには賛成ではないのですが(その理由については改めて書くかも知れません)、その流れを止めることはもう不可能だと考えています。
我々の社会はどこに向かっているのか?に書いたとおり、これはきっと人間の脳の奥深いところにプログラムされているのでしょう。


ですが……、この満腹パイの時代になっても人はまだ、争いを繰り返すのではないかと私は予想しています。
皆さんはどう思いますか?

続く……。


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